ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

聖霊のバプテスマ その4

補足
 
聖霊は人格です。
 
人も人格です。
 
人格同士が一体になるということは、聖霊の思いが私の思いになり、私を通して聖霊が語り、私を通して聖霊の力が働くということです。
 
使徒の働きの2章や3章でペテロを通して起こったことは、そういうことだと思います。
 
それが聖霊と一体になった状態であり、聖霊によって満されている(支配されている)状態だと思います。
 
大規模なことが起こったからそれが聖霊の満たしで、小さなことが起こった場合は、聖霊の満たしではないと言っているのではありません。
 
聖霊に満たされて小さな一言だけを語らされる場合もあると思います。
 
アメリカのカリスマ・ペンテコステ派では、異言を語りさえすれば、そのクリスチャンはスピリット・フィルド クリスチャン(御霊に満たされたクリスチャン)と呼ばれます。
 
私はそうは思いません。
 
異言はその人に与えれた賜物ですから、聖霊に満たされていなくても、使いたい時に使えます。
 
重要なのは、思いが聖霊と一致することだと思います。
 
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つにになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」 Ⅱ歴代誌16:9
 
「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主は仰せられる。 セカリヤ4:6
 
バプテスマと満たしの違い
また聖霊バプテスマ聖霊の満たしですが(使徒2:4)、聖霊の満たしは聖霊バプテスマとは言われません。
 
聖霊の満たしは何度でも起こりますが、聖霊バプテスマは一度限りです。
 
つまり誰かに最初に起こる聖霊の満たしを、聖霊バプテスマと呼ぶのだと思います。