ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

残念な批判記事

 
 先日、投稿した「御霊がすべての真理に導き入れる」というのは思い込みにすぎないという記事が、あるブログで批判されているのを発見しました。
 
 その批判記事を読んでみると、間違いだらけでした。

 しかし、そのブログの読者たちはその記事を鵜呑みにしているようで、かなり良い評価がつけられていました。
 
 ミスリードされている読者たちが可愛そうなので、その記事の誤りを指摘しようと思います。
                  ***

 そのブログの著者は、使徒の働きを引用して、こう述べています。
 
ペテロはエルサレムに戻って兄弟たちに報告をした時、御子によって約束され、実際に自分たちが受けた聖霊の賜物を、神が異邦人にも全く同じように与えてくださったのを見て、御子の約束の言葉を思い出したことを証した。
 
使徒11:15-17
15 そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった。
16 その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。
17 このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。
 
 それはまさに御子が最後の晩餐において約束した聖霊の働きの成就である。
 
                                (引用終わり)
 
 上記の記述の中で、著者は「御子が最後の晩餐において約束した」と言っています。
 
 しかし、16節でペテロが思い出した約束は、主イエスが復活後に語った言葉であって、最後の晩餐で語った言葉ではありません。
 
 それは使徒145を見ればわかります。
 
 続いて著者は、ヨハネ1426を引用してこう書いています。
 
ヨハネ14:26
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
 
 父なる神が御子の名によって、ユダヤ人にも異邦人に対しても、信じる者皆に同じように聖霊を与えてくださった以上、その三位一体の神の約束「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです」を、「この箇所は、初代の使徒には当てはまりますが、それ以外のクリスチャンには適用できません」と限定する根拠は全くないと言える。
 
 聖霊は絶対主権者である神の位格であり、その方がご自身の性質に基づいて、信仰者の心の中でどのように働くべきか、私達が決定することではない。
                                (引用終わり)
 
 この著者の致命的な欠点は、引用したテキストをまったく釈義していないことです。
 
 ヨハネ1426の「わたしが話しておいたことを、ことごとく」というのは、主イエスが公生涯で十二弟子に話した諸々の内容を指しています。
 
 この部分は、原文ではこうなっています。
 

πντα       επον  μν    γ
すべて  関係代名詞 話した あなたがたに わたしが
 
 
 
「わたしが…話しておいた」というクローズが、関係代名詞によって「すべて」にかかっています。

 そのため、英語の聖書では「all that I have said to you」(わたしがあなたがたに話しておいたすべて)と訳されています(ESV
 
 また、「話しておいた」の部分はアオリスト過去形で書かれているので、主が最後の晩餐で話している時点よりも過去のことを示しています。
 
 つまり、公生涯で話しておいたすべてのことを思い起こさせる、と主は言っているわけです。
 
 これが可能な相手は、3年半のあいだ寝起きを共にした十二弟子しかいません
 
 ですから、この箇所も十二弟子にしか適用できない箇所なのです。

 
聖書信仰とその諸問題」の著者の一人である鞭木先生も、同書の中でこの箇所を引用して次のように書いています(p238~p239)。
 

 主イエスのご計画によるならば、主を証しするのは弟子たちだけではなく、真理の御霊もその役割を与えられています。
 
 それゆえに、主を証しする弟子たちに聖霊の特別な付与が約束されたのは当然のことでした(マタイ1020)。
 
 特にヨハネ福音書1426節はこのことを教えています
 
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
 
 その聖霊によって彼らは真理へと導かれ、聖霊は、使徒たちの記憶や判断を助けて行かれました。
                               (強調はダビデ
 
 先生は、「弟子たちに聖霊の特別な付与が約束された」「特にヨハネ福音書1426節はこのことを教えています」と書いておられます。
 
 要するにヨハネ1426は、十二弟子だけに対する特別な約束なのです。
 
 ところが、そのブログの著者は、この箇所の適用を初代の使徒に「限定する根拠は全くない」と結論づけています。
 
 この結論は、この箇所が教えていることと正反対です。
 
 昨日の記事でも、ウェイン・グルーデムが「これらの聖句の中で、弟子たちは聖書を書くという驚くべき能力を約束されている」と言っているとおり、
 
 ヨハネ1426ヨハネ1613は、十二弟子にしか適用できない箇所です。
 
 これらの箇所を普遍的に適用できると考えるなら、私たちにも聖書が書けることになってしまいます。
 
 そのような解釈や適用が間違っていることは、言うまでもないことです。
 
 さらに著者の、次の発言は理解に苦しむ内容です。
 
聖霊は絶対主権者である神の位格であり、その方がご自身の性質に基づいて、信仰者の心の中でどのように働くべきか、私達が決定することではない。」
 
 まるで私が聖霊の働き方を決定しているかのようなことが書かれていますが、私が主張したのは聖句の解釈と適用の問題です。
 
 なぜ書いてもいないことで責められるのか、理解ができません。

 他にも間違いがありましたが、面倒なのでこれくらいにしておこうと思います。
 

●あとがき

 著者の間違いによって自分の記事が批判されるのも残念ですが、その間違った記事を読者の方々が鵜呑みにしているのも残念です。

 同じクリスチャンブロガーとして、やるせない気持ちになりました。

 とにかく、私たちは、主イエスの御言葉を悟ることのできる良い地でありたいと思います。
 
 
マタイ13:23
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。
 

 終わり