ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

新約聖書の権威を弁証する 脱「循環論法」 後編


新約聖書の権威 
 
 このように、キリストの権威と言葉を借りることで、循環論法に陥ることなく旧約聖書が神の言葉であると論じることができます。

 しかし、これまで述べたことは、旧約聖書に関してだけです。
 
 新約聖書の権威は、どう説明すればよいのでしょうか?
 
 まず、福音書についてウエイン・グルーデムの「組織神学」から引用します(p60)。 
 
 エスの言葉と行いを正確に思い起こし、後代に正しく釈義する能力を聖霊に与えられていたのは、主に使徒たちである。
 
 イエスヨハネ14:26 で、弟子たちにその能力の付与を約束していた。
 
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。 
 
 同様に、イエスは次のように語り、聖霊による更なる啓示を弟子たちに約束していた。
 
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。ヨハネ16:13~14  
 
 これらの聖句の中で、弟子たちは聖書を書くという驚くべき能力を約束されている。
 
 聖霊は彼らに「すべてのこと」を教え、イエスが語った「すべてのこと」を思い起こさせ、「すべての真理」に導き入れるのである。 
 
 このようにグルーデムは、ヨハネの2箇所を引用して福音書がイエスの言葉や行いを正確に伝えていることを根拠づけています。
 
 次に、書簡の権威について「新キリスト教辞典」を引用します(p729 
 
 使徒たちが宣べ伝えた福音は、神の啓示と認められただけでなく、聖霊によって語られたものであると認められた。
 
 その福音の実質的内容ばかりでなく、宣べ伝えられことばも、聖霊によって宣べ伝えられたものと信じられたのである(1テサロニケ2:13)。
  
1テサロニケ2:13
こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。 
 
 従って、使徒たちの命令は神の権威を持つものであり、彼らの著作はその権威ある教えを書き連ねたものであった(1コリント1437、2テサロニケ215314)。 
 
1テサロニケ14:37
自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。
 
 パウロ自身が自分の言葉を「神のことば」「主の命令」と言っているだけでは、循環論法に過ぎません。
 
 しかし、キリスト教辞典にはこうあります(p729 
 
 使徒ペテロが68年頃書いた手紙の中で、パウロの多くの手紙について触れている(2ペテロ3:1516)。 
 
2ペテロ3:1516
また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています 
 
 …ペテロは、パウロの手紙旧約聖書と区別しないで、むしろ聖書に含め、旧約聖書を「聖書の他の個所」と呼んでいる。
 
 同様のことは、パウロの場合にも見られる。
 
 彼は旧約聖書申命記と、新約聖書のマタイの福音書、ルカの福音書とに、共に聖書という同等の権威を認めている(1テモテ518申命記254、マタイ1010、ルカ107)。 
 
1テモテ5:18
聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」また、「働き手が報酬を受けることは当然である。」と言われているからです。 
 
 この箇所の最初の「 」内は申命記254の引用、2番目の「 」内はマタイ1010とルカ10:7の引用です。
 
 それをパウロは一括して、「聖書」と呼んでいます。
 
 このように使徒たちは、互いの書物を神の言葉、すなわち正典として認識していました。
 
 
●あとがき
 
 キリスト教進歩主義者は聖書を疑いますが、イエス使徒たちも、旧新約聖書を神の言葉として認識していました。
 
 どちらが正しいかは、明らかですね。
 
 終わり