聖霊のバプテスマ その2
「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」ルカ24:49
「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。・・・しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして・・・わたしの証人となります。」使徒1:5~8
●力の授与
上記の2つの聖書箇所は、言葉遣いや内容が酷似しています。
明らかにこの2箇所は、同じ事柄について述べたものであると思われます。
2箇所の共通点は「力」です。
これらの特徴を、一つの文にまとめてみましょう。
●救いとの時間的差異
そして彼らは、イエスの御名によって水の洗礼を受けました(12節,16節)。
まずはⅠコリント12:13を解釈してみましょう。
「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」Ⅰコリント12:13
上記の聖句の意味を理解するには、「一つの御霊」というフレーズの意味を捉える必要があります。
原典を見てみますと、「霊」を意味する「プニューマ」の前に、「一つ」を意味する「ヘイス」という形容詞がついています。
この「ヘイス プニューマ/一つの霊」というフレーズは、パウロの書簡に何回か出てきます。
「私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。」エペソ2:18
「からだは一つ、御霊は一つです。」エペソ4:4
*上記の聖句は、原典では「一つのからだ、一つの霊」となっています。
「あなたがたは霊を一つにして、しっかりと立ち・・・」ピリピ1:27
*上記の部分は、原典では「あなたがたが一つの霊の内にしっかりと立つために、私は奮闘しており」と書かれています。
このように、「ヘイス プニューマ/一つの霊」というフレーズが使われている箇所のテーマは、すべて霊的一致に関連しています。
このフレーズは、霊的な一致を意味する表現なのです。
この原則をもとにⅠコリント12:13も解釈しなければなりません。
するとⅠコリント12:13の意味は、次のようになります。
つまりパウロは、すべての信者は救われることによってキリストと一体化し、他の信者とも一体化すると述べているのです。
●問題点
なぜなら2:4に、「みなが聖霊で満たされ」と書かれているからです。
また聖霊による力のわざが彼らを通して行われました。
ところが、聖霊の満たしは救いではありません。
救いは一度限りの出来事ですが、満たしは何度でも起こります。
聖霊の満たしは、信者が神のみこころを行うために神が力を授ける行為であって、救いとは別のものです。
逆もまた真なりです。
●まとめ
このように、2者の見解は、それぞれ不十分です。
つづく