「聖霊のバプテスマ」に関する私見 使徒1:5
聖書の執筆者たちの思いの中では、こんにちのように特別な概念として意識されていないかったと考えています。
●原文の表記
使徒1:5
上記の聖句の後半は、原文では以下のようになっています。
ὑμεῖς δὲ ἐν πνεύματι βαπτισθήσεσθε ἁγίῳ
あなた方は しかし の中に 霊 浸されます 聖なる
「浸す」という意味の言葉で、古代ギリシャでは、「船を沈める」と表現するときに使われていました。
ですから上記の箇所を直訳すると、こんな感じです。
●用例
2列王記5:14
また名詞のバプティスマは、次の箇所で使われています。
マルコ7:4
また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。
この事例でわかるように、バプティゾーもバプティスマも、必ずしも洗礼(を授ける)を意味しません。
「浸す」とか「浸すこと」という意味の言葉で、洗礼という意味は元々はなかったのです。
Theological Dictionary of the New Testamentによると、バプティゾーやバプティスマという言葉は、新約聖書では「新しくて馴染みのないもの/something new and strange」でした(第2巻、P530)。
●私見
以下に、その事例を挙げます。
1)聖霊の満たし⇒預言
ルカ1:67
ルカ1:41~45
エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。…主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
ルカ1:15~17
彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。
2)聖霊の満たし⇒異言
3)聖霊の満たし⇒キリストの証
使徒4:8
使徒4:31
使徒9:17
そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、言った。…するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。
●まとめ
いま、「浸される/バプティゾーされる」という状況を、思い描いてみてください。
バプティゾーという言葉は、船が沈んだときに使われました。
船が水の中にバプティゾーされると、船の内部は水で満たされます。
聖書執筆者たちは、そのような理解でバプティゾーという言葉を使っていたと思います。