ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

コメントに対する応答

 
 この記事は、数日前の「残念な批判記事」という投稿に関するものです。
 
 この記事の内容に対して、ある方が異論を唱えてこられましたので、それに対する応答です。
 
 一般の読者の方には、あまり面白くないかもしれません。
 
               ***
 
 さて、本題に入ります。

 私のコメントのポイントをミクさんが理解し損ねているため、これまでの話の流れを整理します。
 
 一連の話の中で問題となっているのは、ヨハネ1426の解釈です。
 
 
ヨハネ1426
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
 
 
 私はこの箇所を釈義した上で、こう結論づけました。
 
主イエスが公生涯で話したすべてのことを思い起こすことが可能なのは、十二弟子だけであると。
 
 それゆえ私は、この箇所は「十二弟子にしか適用できない」と主張しました。
 
 一方、ミクさんは、私の主張に対する一連のコメントの中で、こう言っておられます。

12使徒以外の信仰者は確かに御子と3年半共にいたわけではないので、御子のことば全ては知りません。
 
 また、別のコメントではこう述べておられます。
 
使徒たちと同一の御霊を受けたからと言って、私たちが皆、聖書記者と同じ働きをするわけではないのです。
 
 このようにミクさんの中は、十二使徒と現代のクリスチャンの間に相違があるという考えが明確に存在しています
 
 この点では、両者の見解が一致しているわけです。
 
 ところがミクさんは、この箇所の適用を十二弟子だけに限定する事は、「聖霊の様々な働きをも否定する事に繋がってしまう」と異論を唱えてこられました。
 
 このコメントによると、ミクさんはヨハネ1426の適用を十二弟子に限定するのは誤りで、すべてのクリスチャンに適用できると考えているのです。

 こう考える以外、可能な選択肢はありません。
 
 ちなみに、私の返信の中にある「もし、ミクさんたちの考えが正しいとしたら」という言葉は、このミクさんの見解を指しています。
 
 つまり、私とミクさんは、
 
私:十二弟子にしか適用できない vs ミクさん:すべてのクリスチャンに適用できる
 
 という見解の違いで討論しているのです。
 
 ですから私は、この状況を背景として次のようにコメントしました。
 
「ミクさんたちの考えが正しいとしたら、現代の私たちと初代の使徒たちの役割や能力は、同じだということになってしまいます。同じ性質を持った聖霊を宿しているからです。」
 
 このコメントの意味するところは、こうです。
 
 ヨハネ1426すべてのクリスチャンに適用できるというミクさんの見解に基づいた場合
 
 聖霊主イエスが公生涯で話したすべてのことを現代のクリスチャンにも思い起させることになります。
 
 ということは、初代の使徒たちが聖書を書いたり、教会の土台となる教えをしたように、
 
 現代の私たちにも聖書が書けるし、教会の土台となる教えができることになってしまいます。
 
 もちろん、このような考えは間違っています。

 私たちは主エイスの公生涯に同伴しませんでしたから、主が語られたすべてのことを思い起こすことなどできないのです。
 
 私は、ミクさんの見解の中にあるこの矛盾を浮き彫りにするために、つづけてこう質問しました。
 
ミクさんやミヤサカさんには、聖書が書けますか?公生涯における主のすべての教えを思い起こせるのですか?できないとしたら、どうしてですか?
 
 ところがミクさんは、この質問に対して次のようにコメントしてこられました。
 
まず第一に「使徒たちと同じ聖霊を受けていること=私たちも聖書を書ける」と考えることは論理の飛躍があると思います。
 
 しかし聖霊エスが公生涯で話したすべてのことを思い起させるという点を無視しなければ、論理の飛躍などまったくありません。
 
 既に説明したとおり、ミクさんの意見に基づくなら、私たちも十二弟子と同じことを知っていることになるので、聖書も書けるし使徒的な教えもできることになるのです。
 
 ミクさんの論理に基づくなら、そういう話になってしまうのです。
 
 この矛盾をつくために尋ねた私の質問に対して、ミクさんは1コリントの聖霊の賜物の話を持ち出してこられました。
 
 これは、意図的であろうとなかろうと、論理のすり替えであることに変わりありません。
 
 それゆえ私は、改めてミクさんにお尋ねします。
 
 私とミクさんは、「12使徒以外の信仰者は確かに御子と3年半共にいたわけではないので、御子のことば全ては知りません」という点で見解が一致しています。
 
 この「 」内の事実に基づいて、私はヨハネ1426は十二弟子にしか適用できないと考えています。
 
 しかしミクさんは、私の見解に異論を唱えています。
 
 つまりミクさんは、ヨハネ1426はすべてのクリスチャンに適用できると考えおられるのです。
 
 ということは、聖霊ミクさんに対しても、主イエスが公生涯で話しておいたすべてのことを思い起させることになりますが、そうなのですか?
 
 ミクさんは、聖霊からそのような啓示を受けた経験がおありだということですか?
 
 主イエスが公生涯で話されたすべてのことを、ミクさんはご存知だということですか?
 
 YESNOで簡潔にお答えください。

 ちなみに、YESと答えた場合、以下のご自身の見解に矛盾することになります。
 
使徒たちと同一の御霊を受けたからと言って、私たちが皆、聖書記者と同じ働きをするわけではないのです。
 
 また、NOと答えた場合、ヨハネ14:26がすべてのクリスチャンに適用できるという見解を否定することになり、

 論理的には私と同一の見解に立つことになります。