聖霊に祈ってはいけないのか?
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」 詩篇139:7~8
前回の日記で、三位一体を否定している牧師さんがおられる話をしました。
その牧師さんは、三位一体だけでなく、聖霊に祈ることも次のように否定しています。
「聖霊は助け主として人の信仰や賛美や祈りを助けたもうが、信仰や賛美や祈りを受ける対象ではありません。」(その方のウェブより抜粋)
彼のウエブを見て、この件についても記事にしたくなりました。
1節でダビデは、「主よ。あなたは・・・」と呼び掛けていますので、139編における「あなた」とは「主」のことです。
7節でダビデは、「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう」と言っていますが、
8節になると、「そこにあなたはおられます」と言っています。
ダビデは、主の御霊と主ご自身をまったく区別しておらず、御霊と主を同一視しています。
彼の中では、御霊は主ご自身であり、主は御霊なのです(Ⅱコリント3:17)。
両者は一つであり、不可分なのです。
「天の父なる神様」という呼び掛けで祈りをはじめたからといって、私たちは本当に天の父に向かって祈っていると言い切れるでしょうか。
私たちの意識が向かっているところは天ではなく、その場にある主の臨在かもしれません。
また私たちは、主の臨在に向かって賛美することがないでしょうか。
もし臨在に意識を向けて祈り、賛美するなら、それは天の父でもイエスでもなく、御霊に対して祈りと賛美を捧げているのです。
なぜなら、地上におられるのは御霊だからです。
ですから、私たちは言葉尻では父やイエスに向かって祈ったり賛美を捧げていても、心では御霊に対してそうしているのです。
また集会をしている部屋に満ちている臨在に向かって、「主よ。あなたは今、ここにおられます」と語り掛けないでしょうか。
その場合、「主」とは誰のことですか。
父なる神ですか、それともイエスのことですか。
あるいは、誰かなど区別せずにそう言っているのではないでしょうか。
もしそうなら、聖句の上だけではなく、実際的にも両者は不可分なのです。
私たちの霊はそれをわかっていて、無意識のうちに両者を同一の存在として扱っているのです。
●エリヤ
Ⅰ列王記19:9~18を見てください。
エリヤは「主」と対話をしています。
しかし文脈を追っていくとわかりますが、この「主」は明らかに御霊です。
エリヤは姿なき主から語り掛けを受け、姿なき主に語り掛けているからです。
もし聖霊に向かって祈ることが間違いなら、エリヤはここで間違いを犯していることになります。
アブラハムしかり、マノアしかり、ペテロしかり。
ヘブル1:14によれば、すべての天使は、私たちに「仕える霊」にすぎません。
天使に向かって語り掛けることは良くても、神ご自身である聖霊に語ることはダメなのでしょうか。
それもおかしな話でしょう。
しかし、それを禁止してもいません。
逆に文脈上は、多くの箇所において神のしもべたちは御霊に向かって語っています。
神と聖霊は、まったく不可分だからです。