ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

神の親切

「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」 ローマ2:4

神は聖ですから、基本的には罪を持つ者を生かしておきません(ヨシュア記7:19~26、アカンの石打刑)。

この性質は、十字架以降も変わっていません(使徒5:1~11)。

アナニヤとサッピラの件を考えるなら、たとえ一時的であっても、人間を地上で生かしておくことは間違いなく神の恵みであり、広い意味での救いです。
 
神は恵みのゆえに、人の罪に対して燃え上がる神の怒りから、すべての人間を救っているのです。

●「あなた」
パウロはローマ2章において、すべての人間が罪人であると論じています。

この章でパウロが「あなた」と呼んでいるのは、直接的にはユダヤ人です。

それは2:17からわかります。

「もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り・・・」

しかし8,9節の「ユダヤ人をはじめギリシャ人にも」というフレーズによって、パウロが同時にすべての人を対象にしてこの章を書いていることがわかります。

●神の親切
新改訳聖書が冒頭の箇所で「慈愛」と訳している言葉クレストテスは、「親切」「善良さ」という意味の言葉です。

ガラテヤ5:22に書かれている御霊の実の一つである「親切」が、このクレストテスという言葉です。

そこで英語の聖書では、この言葉はもっぱら「親切」と訳されています。

ローマ2:4によると、この親切さのゆえに神は、人間を地上で一時的に生かし、悔い改めの機会を与えているというのです。

人が罪を犯してもすぐさま裁かれず、しばしの間生きていられるのは、この神の親切さのゆえです。

私たちクリスチャンも神の親切さがなかったら、福音を聞く前に滅ぼされていたはずです(ローマ6:23)。

そういう意味で、神の親切が私たちを悔い改めに導いたことに、間違いはありません。

●ノアによる全焼のいけにえ
この延命措置は、ノアの洪水直後の神の決定に基づいています。

「わたしは、決して再び人のゆえに、この地を呪うことはすまい。」創世記8:21

「すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」同9:11

この神の約束は、ノアが洪水直後に全焼のいけにえを捧げたことによります(創世記8:20~21)。

聖書的な裏づけは少ないのですが、私はこの全焼のいけにえは、キリストの十字架の型であったと信じています。

「なぜなら、神は・・・その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」 コロサイ1:19~20

●父なる神の愛
このような寛容な措置は、罪人をも愛することができる神のご性質によります。

「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」 マタイ5:45

●「今のいのち」と「未来のいのち」
パウロはテモテに、次のように教えています。

今のいのち未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。・・・すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。」 Ⅰテモテ4:8~10

神は、キリストを信じず神を無視している人々にも「今のいのち」という恵みを与え、クリスチャンにはそれに加えて「未来のいのち」も与えてくださっているのです。

罪人である人間を、恵みによって生かしてくださる神。

創造者を無視し、偶像を拝み、様々な罪を犯す人間に、太陽を与え、水を与え、空気を与え、命を与えて生かしてくださっている神。

私たちは、このように寛大な神に望みを置いているのです。