ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

バルナバの手紙

使徒教父文書」の中に、「バルナバの手紙」というのがある。律法の意味を霊的に解き明かしたり、アザゼルの山羊が如何にキリストの予型を示しているかなどを教えたり、興味深いことが書かれている。しかし次のような、とんでもないことも書かれている。

4章6節、7節
「また、契約は彼ら(=ユダヤ人)のものでもわれわれのものでもあると述べることによって罪を重ねて、ある人々と同じにならないようにしなさい。契約はわたしたちのものである。他方彼らは、すでにモーセがそれをうけとったとはいえ、次のようにしてそれを永遠にうしなった。」

●感想
この文書は、ユダヤ人は契約を永遠に失っており、いまや契約はクリスチャンだけのものとなったと言っている。それゆえ、契約がユダヤ人とクリスチャンと両方のものだと言うことは、間違いだというのだ。

バルナバは、「キプロス生れのレビ人」(使徒4:36)、つまりユダヤ人であり、しかも神事を司る部族の血筋なので、いくら改宗してイエスの信者になったからといって、ユダヤ人が契約を「永遠にうしなった」などいう馬鹿げたことを考えるとは思えない。このような思想は異邦人クリスチャンのエリート主義の現れだと思うし、同時に反ユダヤ主義でもあると思う。この手紙の著者はバルナバではなく、十中八九、異邦人の信者だろう。

●聖書はどう言っているか
パウロは、こういった異邦人クリスチャンの霊的高慢に対して、こう警告している。

「枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。・・・高ぶらないで、かえって恐れなさい。」 ローマ11:19~20

「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていただきたい。・・・イスラエルの一部がかたくなになったのは、異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。」 ローマ11:25~26

●まとめ
バルナバの手紙」は2世紀半ばに執筆されたそうだ。1世紀のユダヤ人の離散によって、キリスト信仰のメインストリームはユダヤ人から異邦人クリスチャンに移っているので、この手紙が執筆された頃には、信仰界におけるユダヤ的背景はかなり薄れ、こういった異邦人クリスチャンのエリート主義や反ユダヤ主義が、教会の中に広まっていたのではないだろうか。

使徒教父文書」を読むことで、初期の教会が持っていた思想に触れることができるのと同時に、後世の教会の中に、純粋な信仰から逸れた思想が、どのようにして侵入してきたかを垣間見ることができる。そういう意味で、現代の教会にとって反面教師的な役割があると思う。

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