ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

待たせに待たせる神

ベタニヤでは、私たちをこれでもかというほど待たせる神に出会います。この物語では、イエスは4日遅れで現れました。

教会の回復という働きに生涯を捧げて以来、私は、この4日間遅れで現れる神を、身をもって体験してきました。まさに今この瞬間、神の助けが必要だと私が感じているときに、そのまま放っておく悪い癖を持っておられるお方を私は知っています。状況がいよいよ厳しくなったら、ようやく保釈するのです。

ベタニヤにおいては、そのお方は、なんとご自分の民を死んだままにしておくことすらいといません。神はあなたをいつも救い出してくださるとは限りません。あなたの思うタイミングで動いてくださるとも限りません。神はあなたを死なせるでしょう。そしてその後4日間待つのです。そうしたら何かをしてくださる。

考えてみてください。死とは絶望です。ところが4日たつと、絶望など何処へやら、という具合です。

エス・キリストは、あなたが完全に死に切るのを待ちます。そして、あなたが期待もしていないときに、山の向こうから飛び跳ねながらやって来て、見たこともない不思議な方法で、夢にも思わなかった素晴らしい事をしてくださるのです。

神は、人間的な助けがもはや及ばない状況に私たちを追いやるでしょう。なぜですか?よみがえりの命の栄光を現すためです。復活というのは、神のみぞなし得ることです。だからこそ、神の栄光が現れるのです。

そういうわけで、ベタニヤには危機が起こります。死が許されます。悲しみと苦しみが降りかかってきます。けれども復活が起こります。ただし、私たちがまず危機を受け取らないうちは、復活も訪れません。

主のよみがえりの力は、キリストの苦しみに預かったのちにやって来るのです。

絶対に忘れないでください。キリストこそ、よみがえりであり、いのちなのです。あなたが忍耐して待ち望むなら、主は岩を動かして、あなたを墓から引き出してくださいます。

けれども、これらすべてに優るものがあります。それは44節に見ることができます。