ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

あらゆるものからの解放

44節の主の命令に注目してください。「ほどいてやって、行かせなさい」「彼を自由にして、行かせなさい」「といてやって、行かせなさい」(英訳)。

これは一体何のことでしょうか? 束縛からの解放です。

墓の中のラザロことを考えてみてください。彼は死んでおり、腐敗し始めています。ですから臭います。そして彼は、埋葬服でがんじがらめです。死に縛られているのです。

エスはみことばによって、人々によみがえりのいのちを注ぎます。すると何が起こるでしょう。ラザロが生かされたのです。新しいものに作り変えられました。もはやラザロは、埋葬服という束縛から解放されています。

「ほどいてやって、行かせなさい!」これが群衆に対する命令であったことに注目してください。イエス自身がラザロをほどいたわけではありません。群衆に対してそう命令したのです。

ここで2つのことがわかります。まずはじめに、ベタニヤとは、主の民があらゆる束縛から解放される場であるということです。宗教の束縛、律法と律法主義の霊による束縛、罪の束縛、世の束縛、肉の力で神に仕える束縛、その他もろもろです。

次に、私たちは他者を自由にするための、神の協力者だということです。あたかも主がこう言っておられるかのようです。「他の人たちを自由にするために、わたしに協力してほしい。わたしがあなたを自由にしたのだから、あなたは今や自由のエージェントとなったのです。」

「ほどいてやって、行かせなさい。」これは、主がベタニヤに住む者たちに託した命令なのです。

もし主が私を自由にしたのなら、私は他の人を自由にする権威をも受けたのです。

これこそ、よみがえりのいのちが私たちにもたらす恵みです。よみがえりのいのちは、キリスト以外のあらゆるものから、私たちを解放します。

ですからベタニヤとは、キリストのよみがえりのいのちが、危機の只中で現れるところです。そして神の民が自由にされるところです。

それでは、第3番目のお話に行きましょう。