ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ビル・ジョンソン イエスを罪人扱い その2


 その1では、ビル・ジョンソンが第二コリント521を根拠に、イエスは罪となったので新生しなければならなかった、と述べていることについて検証しました。
 
 この記事ではへブル15使徒1333あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ解釈をし、その聖句の正しい意味を調べます。
 
 
YouTube:「ビル・ジョンソン にせ教師」https://www.youtube.com/watch?v=UzAwFYKe3h0
 
*ビル・ジョンソンの発言は、クロスワイズからの引用を基にし、ダビデ自身が聞き取ったものを加えました。
 
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“…Did you know that Jesus was born again? I asked… the first service and they said, No.” But I will show it. Its in the Bible. Jesus was born again. He had to be. He became sin. 
 
エスが新生したことを知っていましたか?私は第一礼拝でも聞いてみましたが、答えは「いいえ」でした。でも今おしえてあげます。聖書に書いてあります。イエスは新生しました。彼は(新生)しなければなりませんでした。彼は罪となったからです。
 
In Hebrews 1 it says this, “For to which of the angels did he ever say, ‘You are my son. Today I have begotten you’?” And Acts 13 explains that: “God has fulfilled this for us, their children, in that he has raised up Jesus. As it is also written in the second Psalm: ‘You are my Son, Today I have begotten You.’ And that He raised Him from the dead, no more to return to corruption.”  He was born through Mary the first time and through the Resurrection the second time. He was ‘born again.’”
 
へブル書1章にこうあります。「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」(15)。そして使徒13章はこう述べています。「神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と書いてあるとおりです神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされた」(133334)。彼(イエス)は最初はマリアから生まれ、二度目は復活によって生まれました。彼はボーン・アゲン(新生)したのです。
 
引用サイト:クロスワイズ~真理の中を歩む~
 
 
●イエスは復活によって(二度目に)生まれたのか?
 
 へブル15使徒133334には、詩篇27あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』という箇所が引用されています。
 
 ビル・ジョンソンは、この聖句を曲解して、復活はイエスの二度目の誕生だったと述べています。これは正しいのでしょうか。
 
 
①へブル1章の文脈
 
 へブル人書の著者は、12で「御子によって世界を造られました」と述べています。
 
 また13では「御子は神の栄光の輝き、また神の本質完全な現われ」と言っています。
 
 つまりへブル書の著者は、イエスが被造物(存在の始まりがあるもの)ではなく、
 
 創造主であり神であることを理解していたということです。
 
 神は永遠の存在ですから、その存在には始まりも終わりもありません。
 
 このことから、詩篇27を引用した理由が、エスの誕生を示すためではなかったことは明白です。
 
 
詩篇27の解釈  ニュー・リビング・トランスレーション・スタディーバイブル参照
 
 「古代の中近東では、神々と王の関係は、父と息子の関係にあると考えられていました。
 
 イスラエルにおいても、主は王たちを息子として受け入れました。
 
 神はダビデを、最も優れ、最も高められた息子として聖別しました(詩篇8927)。」
 
 
詩篇27の解釈  クリスチャン・リサーチ・インスティテュート参照
 
 詩篇27は、メシヤ的な意味合いを持っていると広範に考えられています。
 
 この考えは、ユダヤ教の聖書解釈においてさえ共通しています。
 
 Jewish authorities likewise understand this verse in a nonliteral sense. In the commentary on the Psalms, Abraham Cohen writes that Psalm 2:7 is “to be understood in a figurative sense. On the day of his enthronement, the king was begotten of God as His servant to guide the destinies of His people. When the throne was promised to Solomon, God gave the assurance: I will be to him for a father, and he shall be to Me for a son (2 Sam. 7:14).”5 Cohen understands “begotten” to indicate that the Messiah will be exalted as king and given dominion. He justifies this figurative understanding by citing Psalm 89:27 (verse 28 in the Hebrew Bible): “Also I will make him My firstborn, the highest of the kings of the earth. My mercy I will keep for him forever, and My covenant shall stand firm with him” (Ps. 89:27–28).
God making King David His “firstborn” had nothing to do with giving birth to him, but it had everything to do with exalting him as “the highest of the kings of the earth.” 
 
引用サイト:クリスチャン・リサーチ・インスティテュート
 
日本語訳 
ユダヤ教の権威者たちも、この聖句を同じように字義通りではない意味で理解しています。詩篇の注解書の中で、アブラハム・コーヘンはこう述べています。詩篇27は「比ゆ的な意味で理解すべきです。王位に就く日に、王は、神の民の行く末を導く神のしもべとして生まれました。ソロモンに王位が約束されたとき、神は次ように述べました。「わたしは彼にとって父となり彼はわたしにとって子となる」(第二サムエル記714)。コーヘンは、「生む」という表現は、メシアが王として高められ、統治するようになることだと理解しています。彼詩篇8927を引用することにより、(「生む」という)この言葉が比ゆ的な意味であることを肯定しています。「わたしもまた、彼をわたしの長子とし、地の王たちのうちの最も高い者としよう」(詩篇8927)。
神がダビデ王を「長子」したことは、王を出産することとは何の関係もありません。それは「地の王たちうちの最も高い者」として、ダビデ高めるという意味だからです。
(強調はダビデ
 
 このように「生む」という表現については、こんにち的な理解をすべきではなく、メシアとして高める、という旧約的な意味で理解する必要があるのです。
 
 へブル書の著者は、へブル1章の前半で御子イエスの卓越性を述べています。
 
 預言者よりも優れ、御使いよりも優れていることを説明するために、詩篇27を引用しています。
 
 詩篇27を引用して、へブル人たちにイエスがメシアとして高められたことを意識させようとしているのです。
 
 またへブル書の著者は、2章ではイエスが天の大祭司として高められたことも述べるつもりでしたので、1章でイエスがメシアとして高められたことをはっきりさせておくことは重要でした。
 
そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。」(へブル217
 
 
使徒1333
 
 使徒1333も同様の観点で語られています。
 
 1316以降で、パウロはピシデヤのアンテオケにいたユダヤ人たちに語り始めます。
 
 文脈を追っていくと、ダビデの家系からメシアが出るという約束をユダヤ人たちに説明し、イエスがメシアであることを伝えようとしています。
 
 その過程で詩篇27を引用しています。
 
 パウロは、ユダヤ人たちが詩篇27にメシア的な意味があると理解しているのを知っていたのです。
 
 その知識に基づき、イエスが復活したことによってメシアとして高められたことを論証するためパウロはあえて詩篇27を引用しているわけです。
 
 使徒1333の引用部分を、「ダビデの家系に生まれたイエスが、メシアとして高められた」という解釈と置き換えてみると、パウロの論理に筋が通りますので、ぜひご自分でやってみてください。
 
 
●結論
 
 そういうわけで、あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』という聖句の意味は、イエスが生まれたことを意味してるのではなく、天の大祭司として、またメシアとして高められたことを意味しています。
 
 ビル・ジョンソンは、「二度目は復活によって生まれました。彼はボーン・アゲン(新生)したのです」と結論づけていますが、これではへブル書1章や使徒13章が云わんとしていることの逆です。
 
 イエスはただの人間にすぎなかったという持論を導き出すために、このような曲解をする人物が、果たして神の霊に導かれているでしょうか?
 
 私たちは聖書を正しく信じ、復活によってメシアとして高められ、天の大祭司として高められたイエスをほめたたえましょう。