ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【同調記事】女性牧師は聖書的なのか? 前編


「地の果てまで福音を」ブログが扱っているテーマに便乗した記事です。
 
 
第一テモテ21115
女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。
私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。
アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。
また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。
しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。
 
 
11節は男尊女卑の逆
 
 まずはじめに、11節について確認します。
 
 バイブル・バックグラウンド・コメンタリーから、2世紀における社会的背景の説明を抜粋します。
 
2世紀に、ラビ・メイアー(Meir)の妻でベルリア(Beruria)という女性がいた。彼女は律法の教育を受けていたが、めったにない例外であった。
 
女性たちは、シナゴーグで律法の釈義を聞くことはできた。また時には、ラビの講義に出席することができた。

しかし大多数のラビは、女性たちを弟子として受け入れることは決してなく、ギリシャ語を話すユダヤ人たちは、ラビたちに比べて、さらにひどい偏見を女性に対して持っていた。
 
離散したユダヤ人のシナゴーグで一部の女性が重要な役割を担っていたり、世俗の社会で高い地位についていた証拠はある。

しかし女性がシナゴーグで傑出していたのは規定によったのではなく、めったにない例外であったことが、同じ証拠によって示されている。
                                 (P611より)
 

 このような社会的背景の中で、聖書はクリスチャンの女性に教えを受けなさいと指示しています。

 これは当時の風潮を翻すような、実に画期的な教えです。聖書の神は、女性の自由を推進しているのです。
 
 
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