エゴー・エイミの意味とは?
ギリシャ語の学びの中から投稿します。
24回のうちの7回は、エゴー・エイミ+述語表現 という形になっています。
例:わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(下線部が述語)
●エゴー・エイミの意味
エゴーは「私」
エイミはそれだけで「私は~である」という意味です。
ですから厳密にいうと、
エゴー・エイミ = わたし、わたしが~である ということになり、
「わたし」が重複した言い方になっています。
ある講師によると、この重複は強調表現で、
「わたしこそ~である」という含みを示すとのことです。
●7つのエゴー・エイミ
エゴー・エイミ+述語表現が見られる7つの箇所は次のとおりです。
①「わたしはいのちのパンです」6:35, 48 ⇒「わたしこそいのちのパンです」
②「わたしは自分自身についての証人です」8:18
③「わたしは門です」10:9 ⇒「わたしこそ門です」
④「わたしは善い牧者です」10:11, 14
⑤「わたしはよみがえりであり,いのちです」11:25
⑥「わたしは道であり,真理であり,いのちです」14:6 ⇒「わたしだけが道であり・・・」
⑦「わたしはぶどうの木です」15:5
これを解明するには、旧約聖書の背景を考慮する必要が出てきます。
日本で紹介されている説明は、
出エジプト記3:14の「わたしはある」とエゴー・エイミを結びつけるものです。
しかし参考サイトによると、これは根拠が薄いと言われています。
出エジプト記の箇所には、エゴー・エイミに相当するヘブル語表現が含まれていないからです。
しかし以下の箇所には、実際にエゴー・エイミと訳されている表現が含まれています。
イザヤ43:10
「これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。」
イザヤ52:6
「その日、『ここにわたしがいる。』と告げる者がわたしであることを知るようになる。」
「わたしがその者である」「わたしである」の部分が、エゴー・エイミと訳されています。
つまりイエスさまは、エゴー・エイミを使うことにより、
●イエスのメッセージ
上記の結論を念頭において、以下の箇所を見てみましょう。
ヨハネ8:24
それでわたしは、あなたがたが自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。
ヨハネ8:28
あなたがたが人の子を上げてしまうと、その時、あなたがたは、わたしが何であるか、また、わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していることを、知るようになります。
上記の箇所で「わたしのこと」「わたしが何であるか」と訳されている部分が
エゴー・エイミです。
いかがでしょうか。
イエスさまが旧約の神であることが、改めてはっきりすると思います。
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