ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】ことばは神であった


 
今日の学びで、感動したことをお伝えします。
 
文法的な原則をいくつか羅列しますが、
 
最後には面白さがわかっていただけると思います。
 
 
●主語と述語の区別
 
英語の場合、主語と述語は、語順で決まります。
 
たとえば The Word was God. という文では、
 
The Word が主語で、Godが述語です。
 
 
でもギリシャ語は違います。
 
名詞の前に定冠詞がついていれば主語で、ついていなければ述語です。  
 
*定冠詞とは、英語のtheに相当するものです。 



●語順が先の言葉が強調される
 
ギリシャ語では、主語と述語の語順はフレキシブルで、
 
先に書かれている言葉が強調されます
 
 

●定冠詞がついていない名詞は性質を表す
 
ギリシャ語では、名詞に定冠詞がついていない場合、本質を表現するという特徴もあります。
 
1コリント1227
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
 
 
この聖句を原典で見ると、「からだ」には定冠詞がついていません。
 
なのでパウロが言いたいのは、教会には「からだ」のような特質がある、
 
ということであることがわかります。
 
 

●まとめ
 
これらの原則を考慮して、ヨハネ11を見てみましょう。
 
   
ことばは神であった / セオス エイン ホ ロゴス 
 
 
*セオス=神  エイン=~であった  ホ=定冠詞  ロゴス=ことば
 

 
セオスが一番先に書かれていることから
 
神としての本質が強調されていることがわかります。
 

またセオスに定冠詞がついていないことから、
 
ことばイエス・キリスト)が父なる神とは別の人格であることがわかります。
 
 
セオス エイン ホ ロゴス と書いてあるだけですが、
 
ロゴスなるイエス・キリストが、父なる神ではないけれども本質において同じであること、
 
が文法的特徴によってわかってしまうのです。

ギリシャ語を選んで新約聖書を書いた神の知恵の深さは絶妙ですね。


エホバの証人に伝道したい方は、この説明によってイエスが神であることを解説されてはいかがでしょうか。
 

 
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