五役者vs四役者 エペソ4:11
エペソ4:11
●定冠詞は4つ/賜物は5つ
この箇所には5種類の賜物が書かれていますが、牧師と教師は、同一の働き人の二面性を表しているという意見があり、五役者ではなく四役者だと主張する人もいます。
ギリシャ語教科書の著者ビル・マウンスが、結論を出しているので見てみましょう。
カイ アウトス エドーケン トウス メン アポストロウス
トウス デ プロフェータス トウス デ エウアンゲリスタス
トウス デ ポイメナス カイ ディダスカロウス
定冠詞 また 羊飼い(複数) そして 教師(複数)
最後の部分をご覧いただくと、牧師と教師は一つの定冠詞でまとめられていて、
ユニットになっています。 定冠詞 + (牧師・教師)
問題は、このユニットが一人の働き人の二面性を表しているのか、
それとも、それぞれが独立した別々の賜物なのかということです。
前者の意味なら四役者になり、後者なら五役者です。
●同一とは限らない
マウンスは、二つの名詞が一つの定冠詞でまとめられていても、その名詞が同一のものを意味しているわけではない、と説明しています。
ですからエペソ4:11の「牧師また教師」という箇所も、
同一の働き人を指しているとは言いきれません。
●ユニットの理由
マウンスは、ダラス神学校の聖書学者ハロルド・ホーナー(故)による注釈を引用し、
牧師と教師がユニットになっている理由を説明しています。
牧師と教師は地域教会にとどまって奉仕していたので、
それが区別されて書かれている理由だと述べています。
●牧師は教師のサブセット
ホーナーの説明にはつづきがあり、それによると、
名詞の複数形がユニットとして書かれている場合、
「前者が後者のサブセットになっている」というギリシャ語文法の理論があり(注)、
この箇所の構造上、牧師は教師のサブセット(部分集合)だと述べています。
サブセットの図説 AはBの部分集合
1テモテ3:2にあるとおり、牧師には教える能力が必要です。
しかし教師は、必ずしも牧師/羊飼いの賜物を持っているとは限りません。
上図で言えば、Aが牧師でBが教師です。 牧師 ⊆ 教師
注:
ウォーラスは、「牧師また教師」という統語表現は、牧師が教師の一部であることを示していると論じている。この見解は、「複数形名詞構造の意味論と一致」しており、「前者が後者の部分集合であることは、十分に証明されている」。カルビンも同様の結論に至っている。(D.B.Wallace,「Greek Grammar」P284)
●まとめ
エペソ4:11は、「四役者ではない」という意味で「五役者」ということになります。
ただし牧師には教師の側面もある、ということです。
ギリシャ語の原文には、誰に、これら5つの賜物を与えたかは書かれていません。
しかし前後の脈絡と文法的な構造から、8節の「人々に」与えたことがわかります。
私訳
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