ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

五役者vs四役者 エペソ4:11


 
教科書の著者ビル・マウンスのブログからです。
 
 
エペソ411
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
 
 
 
定冠詞は4つ/賜物は5つ

  この箇所には5種類の賜物が書かれていますが、牧師と教師は、同一の働き人の二面性を表しているという意見があり、五役者ではなく四役者だと主張する人もいます。
 
 ギリシャ語教科書の著者ビル・マウンスが、結論を出しているので見てみましょう。
 

カイ  アウトス エドーケン トウス メン  アポストロウス  
そして 彼は   与えた   定冠詞 確かに 使徒(複数)
 
トウス  デ  プロフェータス トウス  デ  エウアンゲリスタス 
定冠詞  また 預言者(複数) 定冠詞  また 伝道者(複数)
 
トウス デ  ポイメナス   カイ  ディダスカロウス 
定冠詞 また 羊飼い(複数) そして 教師(複数)
 


 最後の部分をご覧いただくと、牧師と教師は一つの定冠詞でまとめられていて、
 
ユニットになっています。  定冠詞 + (牧師・教師)
 
 
 問題は、このユニットが一人の働き人の二面性を表しているのか、
 
それとも、それぞれが独立した別々の賜物なのかということです。
 
 前者の意味なら四役者になり、後者なら五役者です。
 
 
同一とは限らない
 
 マウンスは、二つの名詞が一つの定冠詞でまとめられていても、その名詞が同一のものを意味しているわけではない、と説明しています。
 

 その実例として、エペソ2:20の「使徒預言者」を挙げています。
 
 エペソ2:20の「使徒預言者」も一つの定冠詞でくくられていますが、
 
使徒預言者は別の働き人であり、異なる賜物です。
 

 ですからエペソ4:11の「牧師また教師」という箇所も、

同一の働き人を指しているとは言いきれません。 
 
 
ユニットの理由
 
 マウンスは、ダラス神学校の聖書学者ハロルド・ホーナー(故)による注釈を引用し、
 
牧師と教師がユニットになっている理由を説明しています。
 
 ホーナーは、使徒預言者、伝道者の3つは巡回奉仕者である一方、
 
牧師と教師地域教会にとどまって奉仕していたので、

それが区別されて書かれている理由だと述べています。
 
 
牧師は教師のサブセット
 
 ホーナーの説明にはつづきがあり、それによると、
 
名詞の複数形がユニットとして書かれている場合、
 
「前者が後者のサブセットになっている」というギリシャ語文法の理論があり(注)、
 
この箇所の構造上、牧師は教師のサブセット(部分集合)だと述べています。


イメージ 1
 











 サブセットの図説 AはBの部分集合
 
 
 1テモテ3:2にあるとおり、牧師には教える能力が必要です。
 
しかし教師は、必ずしも牧師/羊飼いの賜物を持っているとは限りません。

 
 上図で言えば、Aが牧師でBが教師です。 牧師 ⊆ 教師
 
 
注:
ウォーラスは、「牧師また教師」という統語表現は、牧師が教師の一部であることを示していると論じている。この見解は、「複数形名詞構造の意味論と一致」しており、「前者が後者の部分集合であることは、十分に証明されている」。カルビンも同様の結論に至っている。(D.B.Wallace,「Greek Grammar」P284)                       
  

●まとめ
 
 エペソ4:11は、「四役者ではない」という意味で「五役者」ということになります。
 
ただし牧師には教師の側面もある、ということです。 


 ギリシャ語の原文には、誰に、これら5つの賜物を与えたかは書かれていません。

しかし前後の脈絡と文法的な構造から、8節の「人々に」与えたことがわかります。


私訳
そしてキリストは、使徒預言者、伝道者、そして牧者と教師(という賜物を人々に)与えた


 
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