ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】ロゴス ヨハネ1章

いつもとは趣向が違う記事です。

 
異邦人にとってのロゴス
 
 ギリシャ語の教科書を読んでいたところ、次のように書いてありました。
 
1世紀の一般的な読者は、ヨハネ福音書のプロローグ(1118)を読んだとき、ロゴスという語によるヨハネの描写に、難儀を感じたはずである。・・・ロゴスとは物事の道理のことで、理性によって理解可能な法則のことだったからだ。(P71)
 
 
 そこで、哲学用語としてのロゴスの意味を検索してみました。
 
ロゴスを最初に見出した哲学者は、古代ギリシャヘラクレイトスBC540~480年頃)です。ヘラクレイトスは、万物は絶えず運動し、変化するという万物流転の思想を説きました。そして、永遠に存在して、万物を支配する法則をロゴスとしました。(中略)

彼以降、哲学の目的は、ロゴスの探求であると考えられるようになりましたので、ヘラクレイトスのロゴス説は、大変、大きい意義を持っています。
 
 
ユダヤ人にとってのロゴス
 
 一方、当時のユダヤ人たちにとって「ことば」とは旧約聖書であり、神の知恵のことでした。
 

 バイブル・バックグラウンド・コメンタリーには、次のように書かれています。
 
ユダヤ人にとっては、知恵や御言葉は神的なものでありながらも、父なる神とは別の存在と見なされていた。それゆえロゴスは、ヨハネにとってイエスを描写するのにもっとも利用しやすい用語であった。(P264
 
 
 確かに箴言では知恵が擬人化されており、創造のわざに携わった存在として描かれています。
 
箴言8:27~31
神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。
神が上のほうに大空を固め・・・地の基を定められたとき、
わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。
 
 
ロゴスの受肉
 
 そのようなロゴス観を持っていた当時の人々は、福音書を読んでどう感じたのでしょうか。

 教科書にはこう書かれています。
 
ヨハネ114は、そのような読者たちを呆然とさせたに違いない。「ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った」とあるからだ・・・ヨハネ1:14は、リスクと醜聞と福音を内包していたのだ。(P71)
 
 
 パウロも同調しています。
 
ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが・・・
                             1コリント1:23)
 
 
私たち
                       
 では、私たちはどうだったでしょうか。
 
 私、個人のことを言えば、
 
 福音をはじめて聞いたときは無神論者であり(初詣にさえ行かなかった)
 
 少なくとも半年間、宣教師に盾突いていました。。。

 
自分に属するもののところに来たが、彼に属する人々は彼を受け入れなかった
                      (ヨハネ1:10~11岩波翻訳委員会訳)
 

 でもいま私たちは、主を愛する者となりました!
 
 なぜでしょうか???

 
私たちが愛するのは、彼がまず最初に私たちを愛して下さったからである
                       1ヨハネ4:19岩波翻訳委員会訳 
 
 
応援ありがとうございます↓