【ミニ投稿】ロゴス ヨハネ1章
いつもとは趣向が違う記事です。
●異邦人にとってのロゴス
ギリシャ語の教科書を読んでいたところ、次のように書いてありました。
1世紀の一般的な読者は、ヨハネの福音書のプロローグ(1:1~18)を読んだとき、ロゴスという語によるヨハネの描写に、難儀を感じたはずである。・・・ロゴスとは物事の道理のことで、理性によって理解可能な法則のことだったからだ。(P71)
そこで、哲学用語としてのロゴスの意味を検索してみました。
ロゴスを最初に見出した哲学者は、古代ギリシャのヘラクレイトス(BC540~480年頃)です。ヘラクレイトスは、万物は絶えず運動し、変化するという万物流転の思想を説きました。そして、永遠に存在して、万物を支配する法則をロゴスとしました。(中略)
●ユダヤ人にとってのロゴス
バイブル・バックグラウンド・コメンタリーには、次のように書かれています。
確かに箴言では知恵が擬人化されており、創造のわざに携わった存在として描かれています。
箴言8:27~31
神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。
神が上のほうに大空を固め・・・地の基を定められたとき、
わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。
●ロゴスの受肉
そのようなロゴス観を持っていた当時の人々は、福音書を読んでどう感じたのでしょうか。
教科書にはこう書かれています。
ヨハネ1:14は、そのような読者たちを呆然とさせたに違いない。「ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った」とあるからだ。・・・ヨハネ1:14は、リスクと醜聞と福音を内包していたのだ。(P71)
パウロも同調しています。
ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが・・・
(1コリント1:23)
●私たち
では、私たちはどうだったでしょうか。
私、個人のことを言えば、
福音をはじめて聞いたときは無神論者であり(初詣にさえ行かなかった)
少なくとも半年間、宣教師に盾突いていました。。。
自分に属するもののところに来たが、彼に属する人々は彼を受け入れなかった。
でもいま私たちは、主を愛する者となりました!
なぜでしょうか???
私たちが愛するのは、彼がまず最初に私たちを愛して下さったからである。
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