【ミニ投稿】イエスの母親観 ヨハネ2:4
●呼び掛けの名詞
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
この聖句の「婦人よ」(新改訳では「女の方」)という言葉は、
グネーは、母マリアに対してだけなく、他人に対しても使われていました。
ルカ13:12(新共同訳)
「婦人よ、病気は治った」(新改訳の本文では省略)
ヨハネ20:15(新共同訳)
「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」(新改訳の本文では省略)
●公の働きに入っていたからだった
「このような使い方は普通ではない」と言っています。さらに
この使い方はへブル語表現でも、ギリシャ語表現でもない。(中略)
これはイエスとマリアの関係が、変化したことを示している。
もはや母と息子の関係ではなく、
イエスが公の働きに入っていることを示している。
マタイ12:48の「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか」
そして弟子たちを指して、「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです」
●まとめ
イエスさまが、徹底して自分に死んでいたことを思わされます。
生きていたときから十字架についていた、ということでしょう。
身が引き締まる思いです。
この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。ガラテヤ6:14
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