ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】イエスの母親観 ヨハネ2:4


 
教科書の著者マウンスのブログからです。
 
 
●呼び掛けの名詞
 
ヨハネ24(新共同訳)
婦人よわたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
 
 
 この聖句の「婦人よ」(新改訳では「女の方」)という言葉は、
 
 グネーというギリシャ語で、女性または妻を意味します。
 
 
 グネーは、母マリアに対してだけなく、他人に対しても使われていました。
 

ルカ13:12(新共同訳)
婦人よ病気は治った」(新改訳の本文では省略)
 
ヨハネ20:15(新共同訳)
婦人よなぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」(新改訳の本文では省略)
 
 

公の働きに入っていたからだった
 
 マウンスは、ヨハネ2:4のグネーの使い方に関して
 
このような使い方は普通ではないと言っています。さらに
 
 
この使い方はへブル語表現でも、ギリシャ語表現でもない。(中略) 
 
これはイエスとマリアの関係が、変化したことを示している。
 

もはや母と息子の関係ではなく、

エスが公の働きに入っていることを示している
 

マタイ12:48の「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか
 
そして弟子たちを指して、「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです
 
と言ったエスの言葉が、それを裏付けている。  (引用終わり)
 

 
●まとめ
 
 イエスさまが、徹底して自分に死んでいたことを思わされます。
 
 生きていたときから十字架についていた、ということでしょう。
 
 身が引き締まる思いです。
 
 
この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのですガラテヤ614
 
 
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