【ミニ投稿】御言葉と人が混ぜ合わさるとは? へブル4:2
信仰とは何ぞや? へブル4:2から、信仰の機能を見てみましょう。
●御言葉+信仰+人⇒行い
へブル4:2
福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
この箇所で「結びつけられる」と訳されている言葉は、スンケラヌミーといいます。
sygkeránnymi (from 4862 /sýn, "identified with," intensifying 2767 /keránnymi, "mix into a new and improved compound") – properly, mix together into a superior compound – "a holistic blend" (unified whole) where the parts work together synergistically.
スンケラヌミー:
(~と一緒に)を意味する「スン」が、
「ケラヌミー」(混ぜることによって、改良された新しい合成物にする)を強調している。
厳密には、一緒に混ぜることによって、より優れた合成物にすること。・・・
御言葉が信仰によってスンケラヌミーされるとこうなります。
↓
行いとなって表れる
逆にサンデークリスチャンというのは、
御言葉が信仰によってスンケラヌミーされていない人、ということではないでしょうか。
ヤコブ2:14、17
だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。・・・信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
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