ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】御言葉と人が混ぜ合わさるとは? へブル4:2


 
 信仰とは何ぞや? へブル42から、信仰の機能を見てみましょう。
 
 
御言葉+信仰+人⇒行い
 
へブル42
福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
 
 
 この箇所で「結びつけられる」と訳されている言葉は、スンケラヌミーといいます。
 
 ギリシャ語辞典で、その意味を調べてみました
   
sygkeránnymi (from 4862 /sýn, "identified with," intensifying 2767 /keránnymi, "mix into a new and improved compound") – properly, mix together into a superior compound – "a holistic blend" (unified whole) where the parts work together synergistically.
 
スンケラヌミー
 
(~と一緒に)を意味する「スン」が、
 
「ケラヌミー」(混ぜることによって、改良された新しい合成物にする)を強調している。
 
厳密には、一緒に混ぜることによって、より優れた合成物にすること。・・・
 
 
御言葉が信仰によってスンケラヌミーされるとこうなります。
     
            ↓
 
        行いとなって表れる 
 
 
逆にサンデークリスチャンというのは、
 
御言葉が信仰によってスンケラヌミーされていない人、ということではないでしょうか。
 
 
ヤコブ21417
だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。・・・信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです
              
 
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