ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

訳出されていない「恵み」の対照語とは? エペソ2:3


 
 エペソ2:3には、パウロが「恵み」の対照語として使っているにもかかわらず
 
 訳出されていない言葉がありました
 

生来の(霊的)性質
 
エペソ2:3 
私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした
 
原文
エメサ      テクナ  フーセイ  オルゲス
私たちは~でした 子供たち 性質により 怒りの
 
直訳
私たちは、生来の(霊的)性質により、怒りの子(の状態)でした。
 
 
 
 この箇所で「生まれながら」と訳されている部分は、原文では一つの名詞だけです。
 
「フーセイ」(原形:フーシス)という名詞で生来の性質を意味します。
 
 フーシスの説明は、以下のとおりです。
 
 
生まれながら」(フーシス)とは、私たちの生まれつきの状態を指しており、私たちは、怒りの子になるために(わざわざ)発達する必要はなかった。「フーシス」という言葉は、如何なる発達のプロセスをも否定しており、私たちが怒りの子という宿命をもって生まれてきたことを示している
 
By nature (5449) (phusis/physis from phúo = to bring forth) (note contrast with "by grace" in Eph 2:5-note) refers to that which is innate and implanted in one by nature. It refers to our natural condition and means that we didn’t have to develop to become children of wrath. “By nature” denies any process of development so that we were born with the destiny of children of wrath. 
 
 
恵みとのコントラスト
 
エペソ2:5 
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです
 
 
 フーシスの解説のところで和訳を省きましたが、解説の冒頭にこう書かれています。
 
 フーシス(注:エペソ25「恵みによって」とのコントラスト
 
 
 パウロはエペソ235「性質」と「恵み」を比較対照して論説している、
 
 ということです。
 
 
 なぜ対照になっていることがわかるのか、その理由を説明します。

 
 3節の「(霊的)性質」は、原文では名詞の間接目的格という用法で書かれています。
 
 5節の「恵みによる」も、原文では一つの名詞だけで、同じ間接目的格なのです。
 
 
 下に参考サイトを添付しましたが、
 
 名詞が間接目的格で書かれている場合、
 
 その名詞は「手段」または「位置」を表現します。
 

 この箇所の場合は、「手段」を表しています。
 
 ゆえに英語の聖書では、「生まれながら」の部分が、
 
 by nature/性質によって、と訳されています。
 
 
 パウロ

 生来の性質によって私たちは怒りの子になったが(3節)、
 
 恵みによってあなたがたは救われた(5節)、

 と比較対照しているのです。
 
 
 ちなみに、へブル11章の「信仰によって」の部分も同じ文法的原則です。
 
 あそこも「ピティス」という名詞一つだけですが、
 
 間接目的格なので「信仰によって」と訳されています。
 
 
ギリシャ語の間接目的語の用法:間接目的語手段または位置を表す
 
 
まとめ
 
 人間の性質によって、私たちは「怒りの子」でした。
 
 私たちの霊的性質は、神の怒りを招くほど悪質だったのです。
 
 人の心は何よりも陰険で、それは直らないエレミヤ17:9
 
 
 しかしキリストにある恵みによって、罪赦され、永遠のいのちが与えられ、
 
 神の子どもの身分が与えられ、神の国を相続する者とされました。
 
 パウロが、「恵み」という言葉を繰り返しているのは、
 
 両者のコントラストがよくわかっていたからではないでしょうか。
 
 
あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。・・・
それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
 
 
応援ありがとうございます↓