ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】くどいようだがまたエペソ エペソ2:1~3


 
 エペソ213の、原文の構造に関するお話です。
 
 
読者を引きつける書き方
 
 エペソ213ですが、原文では1節の冒頭が、
 
 英語でいうところの「be動詞の分詞」(you being・・・)ではじまっており、
 
 3節までが一文ですが、文章としては完結しないままで終わっています。
 
 
 強いて日本語で表現してみると、3節の終わりの部分が、
 
怒りを受けるべき子らで・・・。

 という感じの終わり方をしています。
 
 結論を出さないまま、文が終わっているのです。
 
 
「早く結論を教えてくれ~」と、読者に思わせておいて・・・
 
 4節がはじまります。
 

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
 
 
 くどいようですが、

 どう考えてもパウロは、
 
「これでもか~ッ!」というくらい

 恵みによる救いをアピールしているようです。
 

 
生き方の違いを強調している
 
 ちなみに2節ですが、次にあげる岩波翻訳委員会訳を見てください。
 
 こんな訳し方をしています。
 
 
それらの中にあってあなたがたは、かつてはこの世界のアイオーンに従って、天空という権勢領域の支配者(アルコーン)に従って、〔すなわち〕不従順の子らの内に今〔でも〕働いている霊に〔従って〕歩んでいた
 
 
アイオーンというのは「時代のあり方」といった感じの意味で、
 
 その時代の倫理的な質や特徴を指します。
 

 岩波翻訳委員会訳があえて「アイオーン」と書いているのは、
 
 私たちが、この世の倫理基準や価値観に従っていたことを
 
 強調したかったのではないでしょうか。
 
 
 ちなみにローマ122にも使われています。
 
 この(アイオーン)と調子を合わせてはいけません



 ではアルコーンと書いているのはどうしてでしょうか?
 
 意味は「支配者、統治者、指導者」などです。
 
 
 おそらく私たちが、

天空という権勢領域の支配者」であるサタンに従っていたことを
 
 強調したかったのではないかと思います。
 
 
まとめ
 
 昔の私たちは、この世の倫理的基準とサタンに従って生きていました。
 
 今の私たちは、「来るべき世のアイオーンと神さまにに従ってを生きています。
 
 だいぶ大きな違いですね。
 
 どうりで摩擦が大きいわけだ。
 
 
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい     
                                エペソ6:12~13
 
 
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