ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

パウロのこだわり エペソ2:4~7

 
 パウロが余りにもこだわっているので書かざるを得ない、そんな内容です。  
 
こだわり1 神と人の比較対照
 
エペソ2:4~7(岩波翻訳委員会訳)
しかし神は、憐れみに富んでいるために、私たちを愛したその絶大な愛のゆえに、ろもろの過ちのために死んでいた私たちをキリストと共に生かし ――恵みによってあなたがたは救われている ――、キリスト・イエスにおいて共に起こし、共に天上の座に着かせて下さった、迫り来る世にキリスト・イエスにおいて、その恵みの超絶した豊かさを慈しみをもって私たちの上に現すために
 
 
 パウロは、まず4節と5節の文の構造にこだわっています。
 
 それは、エイミーの分詞英語のbeingを使い、
 
 神と人間、それぞれの霊的状態を再び比較対照していることによってわかります。 
 
 こんな感じです。

 
4節 憐れみに満ち満ちている状態は 私たちを愛したその絶大な愛のゆえに   
 
5節 私たち咎によって死んでいる状態を ともに生かしてくださった
 
 
(憐れみに)「富んでいる」「豊かな」と訳されているプルーシオスは、
 
 次のような意味の言葉です。
 
Literally plousios refers to having an abundance of earthly possessions that exceeds normal experience.
 
プルーシオス 通常の体験を超越する豊かさで、地上の所有物を持っていることを指す。 
 
 
 つまり、神の憐れみは有り余っている、ということです。
 
 一方、救われる前の私たちは、霊的なウォーキング・デッド(歩く屍)だったわけです。
 
 パウロは、このコントラストを強調しています。 
 
 
こだわり2 「キリストとの一体化」
 
 二番目のこだわりは、動詞の選択です。
 
 ともに生かした スゾーポイエオースン+ゾーポイエオー)の過去形
 
 ともに起こした スネゲイロースン+エゲイロー)の過去形
 
 ともに座らせた スグカスィゾースン+カスィゾー)の過去形
 
 
 スンという言葉は、「~とともに」を意味する前置詞です。
 
 パウロは、スン+動詞の形式をとる言葉を繰り返し用いています。
 
 
 多くの人は、一度はこのような疑問を持ったことがあるのではないでしょうか。
 
 2000年前にキリストの贖いが完了したのは知っている。
 
 でも、そのことが自分となんの関係があるというのだ・・・。
 
 関係は大有りです!
 
 
 この「スン+動詞」の繰り返しでパウロが云わんとしているのは、
 
 みなさんや私が2000年前に、
 
 キリストと一緒に十字架で死に、
 
 キリストと一緒に死からよみがえり、
 
 キリストと一緒に天に上った、ことです。
 
 
 言い換えると、 
 
 パウロキリストと信者の一体性にこだわっています。  

 
こだわり3 完了した救いのリアリティー
 
 パウロがもう一つこだわっているのは、
 
 過去において成し遂げた救いの結果が、いま現れている、というリアリティーです。
 
 
 キリストの十字架と復活が歴史的な事実であるのと同じように、
 
 私たちの救いも、キリストが2000年前に成し遂げました。
 
 そしてその結果が、現在の私たちの救いとなって現れていることを、
 
 現在形+完了形という組み合せによって伝えようとしています。
 
 
 5節と8節で恵みによってあなたがたは救われていると繰り返されていますが
 
「救われている」の部分は完了形で書かれており、
 
 その手前にあるエステ(あなたがたは~です)という動詞は現在形で書かれています。
 
 この一見不可解な時制の組み合せについて、
 
 ギリシャ語学者のウースト博士はこう説明しています。
 
Wuest explains that...
The perfect tense speaks of the existence of finished results in present time. But Paul is not satisfied with showing the existence of finished results in present time. He wants to show the persistence of results through present time. So he uses the verb “to be” in the present tense which gives durative force to the finished results.  
 
この完了時制は、完結した結果が、現時点においても存在していることを示すものだ。
 
しかしパウロは、それだけで満足していない。
 
彼の願いは、その結果が現時点に至っても存続していることを示すことにある。
 
そこで彼は、状態を表す動詞の現在時制を使い、
 
完結した結果の持続性を表しているのである
 
 
 
●まとめ
 
 エペソ2章からいくつも記事を書いていますが、
 
 こだわりを持っているのは私ではなく、むしろパウロです。
 
 もし彼がこの時代に生きていて、ブロガーだったとしたら、
 
 私以上に繰り返し記事を書くかもしれません。
 
 それくらい彼はこだわりをもって、この箇所を書いています。

 それはパウロが次のことを知っていたからに違いありません。
 

 その恵みの超絶した豊かさを・・・私たちの上に現すため
                      エペソ2:7(岩波翻訳委員会訳)         


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