ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

教会は天使の学校だ! エペソ3:10


 
 天使たちは、私たち教会を観察することにより、
 
 人類の贖いに関する神の知恵(奥義)を学んでいる、というお話です。
 


支配と権威とは?

エペソ3:10~11
これは、今、天にある支配権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです
 

支配アルヘイという言葉で、「第一のもの」「~の長」「初め」という意味ですが、
 
   脈絡の中では、「支配」と呼ばれる天使の一種として述べられています。
 
  「支配」には堕天使も含まれると考えられています。

 
エペソ612(岩波翻訳委員会訳)
私たちの戦いは血と肉に対するものではなく、もろもろの支配に、もろもろの権勢に、この闇のもろもろの宇宙的支配者に、悪〔を体現するところ〕天井〔の領域〕にいるもろもろの霊的勢力に対するものなのだから   
 
 
権威エクソシーアという言葉で、「権力、権威、重さ」を意味します。
 
   エペソ書の文脈では、権威を与えられている天的存在のことです。
 
   サタンの支配下にいる堕天使も含まれると考えられています。

 
エペソ1:21
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました 
 

 
教会は天使の学校
 
エペソ3:8~10パウロは、
 
異邦人に福音を伝えることは、神の奥義を実行に移すことになる、と言っています。
 
この奥義の実行により、「ユダヤ人+異邦人からなる教会」が誕生します。
 
そしてその教会が、「支配と権威」に対して神の知恵を示す媒体/手段になる
 
パウロは言っています。
 
 
1ペテロ1:12 
彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです
 
 
 上記の箇所に「御使いたちもはっきり見たいと願っている」とあるとおり、
 
 天使たちは人が救われる様子を見たがっています
 
 
「見る」と訳されているのはパラクプトーという言葉で、
 
身をかがめて覗き込む」という意味です。
 
 天にいる御使たちは、身をかがめて教会を覗き込みたがっているのです!
 
 
 その理由は、「ユダヤ人+異邦人=教会」という奥義(福音とも言い換えられる)が
 
 天使や悪霊たちに隠されていたからです。
 
 サタンも例外ではありません。
 
 
コロサイ1:26~27(岩波翻訳委員会訳)
この神の言葉は〕永遠の昔から幾世代にもわたって隠されてきた奥義〔である〕。しかし今や神の聖なる者たちにあらわにされ、神は彼らに、この奥義が異邦人のもとでどれほど栄光に富んだものであるかを知らせようした。それはすなわち、あなたがたのもとにあるキリスト〔であり〕、栄光〔へ〕の希望である
 
 
 上の箇所に「神の聖なる者たちにあらわされ」とあるとおり、
 
 奥義はクリスチャンに対して啓示されました。
 
 天使や堕天使たちは奥義が啓示されていなかった、ということです。
 
 
 なのでイエスが十字架で死んだとき、サタンは大喜びしたはずです。

「神の贖いの計画を阻止できたぞ!」 

 
 ところが神の知恵は、イエスの死をとおして人類の贖いを成し遂げることでした。
 
 サタンとしては、キツネにつままれたような状態だったでしょう。

 
 天使もサタンも、人類の贖いがどのように成されるかまったく知らなかったので、
 
 十字架をとおして誕生した教会を今になって覗き込み、
 
 神の知恵の豊かさを学んでいるということです。
 
 
1コリント11:10 
ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです
 
 
 この箇所の「御使いたちのため」という部分も、
 
 天使たちが教会を観察していることを指していると考えられています。
 

 それほど彼らは私たちと神の奥義に興味を持っており、
 
 教会に現された神の奥義が、
 
 天使と悪霊たちにとって不思議なものであることを示しています。
 
 
ルイス・ジョンソンという牧師は、エペソ書の意味を次のように説明しました。
 
使徒が言いたいのは、ここに劇場があるということである。
 
では劇場とは何か。それは人類の歴史である。それが神の劇場だ。
 
ではステージは何か。それはこの世界である。
 
では役者は誰なのか。役者は、キリストの体の一員たちである。
 
劇の作者は誰か。ディレクターやプロデューサーは誰か。
 
父と子と聖霊なる神である。神が作者であり、ディレクターであり、プロデューサーだ。
 
では観客はだれか。エペソ書によれば、観客は天使たちである。
 
では彼らは何を学んでいるのか。それは神の豊かな知恵である
 
 
 
まとめ
 
 いつの間にか天使たちに観察されていたとは、
 
 天使たちが我々を観て神の奥義を学んでいるとは
 
 なんとも不思議な話ですね。
 
 天使たちが教会を観て授業参観している、そんなところでしょうか。
 
 
その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです
                                  エペソ3:6
 
 
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