【ミニ投稿】一部ではなく全部 コロサイ2:14
コロサイ2:14には、訳出されていない重要なニュアンスがあります。
●モーセの律法と覚書き
コロサイ2:14
いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
「定め」と訳されているはドグマという言葉で、
英語のドグマ(教義)の語源になった言葉です。
「書く」を意味する「グラフォー」からできています。
ヒログラフォンは、お金を借りたときに手書きでしたためる「覚書き」のことです。
たとえばピレモン1:19で、
パウロは「私が自分の手によって書きました」(直訳)
と述べ、オネシモの負債を自分が支払うと約束しています。
言い換えると「ピレモンへの手紙」は、
神は私たちの債務証書を、ご自分の独り子の血で支払いました。
●一部ではなく全部
コロサイ2:14には、訳出されていない語句があります。
それは「取りのけ」と「十字架に釘づけ」の間にある語句です。
原文
エルケン エク トゥー メソウ プロセローサス
取り外した ~から 定冠詞 間の 釘づけにして
上記のブルー部分が、日本語の訳文から完全に抜け落ちています。
(債務証書を)「間から取り外して釘づけにした」というのが直訳になります。
つまり神さまは、「債務証書」を無効にしただけでなく、
私たちと神の間から証書そのものを取り去りました。
両者の間には、もう何も残っていません。
神さまは、私たちの罪を丸ごと全~~~部、十字架につけたのです。
(コロサイ2:13参照)
●讃美歌の歌詞
聖歌476番「安けさは川のごとく」の英語バージョンを聞くと、
2番の歌詞の中にこうあります。
My sin, Oh. the bliss of this glorious thought
My sin, not in part, but the whole
Is nailed to the cross and I bear it no more
Praise the Lord, praise the Lord, Oh, my soul!
It is well with my soul・・・
「私の罪、ああ、なんと栄光に満ちた喜び、
私の罪は、一部ではなく全体が、
十字架に釘づけられ、私はもはや、まったく負っていない
主をほめたたえよ、主を賛美せよ、我がたましい!」
以下の動画の1:40くらいから2番が歌われますので、ぜひお聞きください。
たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。イザヤ1:18
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