【ミニ投稿】再臨=主と一緒にいること ヤコブ5:7~8
来臨(再臨)を意味するパルスィーアという言葉の意味を調べてみました。
そこには日本語にはない、もう一つの意味がありました。
●主の来臨の緊迫性
こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
上記の箇所では、主の来臨について2回述べられています。
「近い」と訳されているのはエギゾーという動詞で、
「近づく」という意味です。
それを完了形にして、「すでに近づいてしまっている」という書き方をしています。
●パルスィーア=一緒にいること
ここでパルスィーアの意味を学びましょう。
Coming (3952)(parousia [word study] is a combination of two Greek words para = with +聽 ousia = being (the participial form of the verb eimi = to be) and literally means a "being beside" or a presence.
来臨(パルスィーア)は、パラ(一緒に)+ ウスィーア(~がいる)の結合語である。字義通りには、「傍らにいること」あるいは「在席」を意味する。
Parousia speaks of the personal presence of a person. In addition it is used to speak of the coming of a person and his arrival or advent. In Paul's day parousia was common in the Hellenistic world for the formal visits of royalty.
パルスィーアは、特定の人物がその場にいることを意味している。それに加えて、その人の来臨や到着を意味する。パウロの時代には、パルスィーアはギリシャ語を話すユダヤ人の社会で一般的に使われていた言葉で、王家の者の公式な訪問を意味した。
日本語にしてしまうと、来臨=来る、という意味にしか取れませんが、
ギリシャ語では「傍らにいる」ことも意味しているというのです。
パルスィーア = 来臨 + 同伴
以下の箇所には、この同伴の部分が具体的に言い表されています。
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。1テサロニケ4:17
●まとめ
パルスィーアの意味を知ると、再臨の見方が変わりますね。
イエスさまの再臨は、私たちと一緒にいることが目的なのです。
主が私たちと一緒にいたがっていることは、イエスさまご自身の言葉からもわかります。
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