罪を一つひとつ告白すべき理由 1ヨハネ1:9
次のようなご質問をいただきましたので、
私なりにお答えしたいと思います。
「罪から解放されるためには、過去に犯した罪を神に一つ一つ悔い改めないといけない」というクリスチャンがいますが、どう思われますか?私はその意見に反対ではないのですが、聖書的な(特に原本に沿った)解釈だとどうなるのでしょうか?
●具体的に一つひとつ認めるべき
1ヨハネ1:9
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
この御言葉を原文で調べると、興味深いことがわかってきます。
①「言い表す」=認める
この箇所で「言い表す」と訳されているのはホモロゲオーという言葉です。
ホモロゲオーの意味は「告白する」と「認める」です。
つまり、ただ表面的に口に出すのではなく、心から罪であることを認めた上で
言い表すことがホモロゲオーなのです。
何かが罪であることを認めるためには、具体的でなければ認めることができません。
「どこが悪いのかよくわからないけど、とにかく口に出して謝っておこう」
というのはホモロゲオーではありません。
②罪は複数形
そしてその複数形が使われています。
なぜ複数形が使われているのでしょうか?
それは、告白すべきなのは個々の罪(一つひとつの具体的な罪)だからです。
ハマルティアが単数形で使われる場合は、
しかし告白すべきなのは、個々の罪のほうだからです。
●まとめ
このように1ヨハネ1:9は、具体的に一つひとつ罪を認め、告白すべきである
という意味を持っています。
そうするとき主は、「すべての悪から私たちをきよめてくださる」
(解放してくださる)のです。
自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。
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