ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

罪を一つひとつ告白すべき理由 1ヨハネ1:9


 
 次のようなご質問をいただきましたので、
 
 私なりにお答えしたいと思います。
 
 
「罪から解放されるためには、過去に犯した罪を神に一つ一つ悔い改めないといけない」というクリスチャンがいますが、どう思われますか?私はその意見に反対ではないのですが、聖書的な(特に原本に沿った)解釈だとどうなるのでしょうか? 
 
 

具体的に一つひとつ認めるべき
 
ヨハネ1:9
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます
 
 
 この御言葉を原文で調べると、興味深いことがわかってきます。
 
「言い表す」=認める
 
 この箇所で「言い表す」と訳されているのはホモロゲオーという言葉です。
 
 ホモロゲオーの意味は「告白する」と「認める」です。

 
 つまり、ただ表面的に口に出すのではなく、心から罪であることを認めた上で
 
 言い表すことがホモロゲオーなのです。

 
 何かが罪であることを認めるためには、具体的でなければ認めることができません。
 
「どこが悪いのかよくわからないけど、とにかく口に出して謝っておこう」
 
 というのはホモロゲオーではありません。
 
 
罪は複数形
 
 この箇所で「罪」と訳されているのはハマルティアという言葉です。
 
 そしてその複数形が使われています。
 
 
 なぜ複数形が使われているのでしょうか?
 
 それは、告白すべきなのは個々の罪一つひとつの具体的な罪だからです。
 
 ハマルティアが単数形で使われる場合は、

「罪の性質」を指します(例ヨハネ1:8)。
 
 しかし告白すべきなのは、個々の罪のほうだからです。
    

 
●まとめ
 
 このように1ヨハネ1:9は具体的に一つひとつ罪を認め、告白すべきである
 
 という意味を持っています。
 
 そうするとき主は、「すべての悪から私たちをきよめてくださる

(解放してくださる)のです。
 

 
箴言28:13 
自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける
 
 
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