女性はどのような環境で活躍すべきなのか? 1テモテ2:9~15
数日前に、以下のようなご質問がありました。
この記事は、答えを導き出す参考になると思います。
ここで質問なのですが、クリスチャンの女性が未信者の男性に福音伝道をしたり、聖書の御言葉について解説したりすることは1テモテ2:11-12の教えに反しますか?
それとも、この箇所は女性が教会や福音宣教などの指導者やリーダーになることだけを戒めたものでしょうか?
それとも、この箇所は女性が教会や福音宣教などの指導者やリーダーになることだけを戒めたものでしょうか?
●女性の活動範囲
1テモテ2:11~15(新共同訳)
11 婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。
12 婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです。
13 なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。
14 しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。
15 しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます。
論文の結論部分です。
1テモテ2:9~15の意味をこのように理解すると、
女性が男性に教えたり権威を行使することが禁じられている理由は、
公の場で(訳注:教会で)男性に真理を伝えることになるからではなく、
教えることの中に、男性を監督したり矯正したりすることが含まれるからです。
最悪の場合、男性信徒を除名処分にする必要性すら出てくるからです。
一般論として、女性はそのようなネガティブな側面を実行するのには向いていません。
女性は、他の女性や子供たちを教えたり、監督することができますし、
またそうすべきです。
しかし教えることのネガティブな側面はその場合でも残っており、
ある女性にとっては、問題のある人に対峙したり、叱責したり、処分を科すことに、
困難を感じるかもしれません。しかしそれらも、教えることの一部です。
男性を教えることが禁じられているのは創造の秩序のゆえであり、
教えよりも人間関係を重視してしまう惑わしに陥る傾向が、より強いからです。
訳注:言い換えると、エバが神の命令を守ることよりも、
アダムを誘うことを優先した点に相当します。女性は情に流されてしまい、
真理を徹底して実行する点で、男性と比べて困難さを感じるということです。
これらの要素があるからといって、
教会の中で、時折メッセージをすることに支障はありません。
なぜなら教会の他の指導者や他の教師が、監督と説明責任を担っているからです。
しかしこれだけでは、パウロが意味していることを十分説明していることになりません。
女性は神学校や他の学問の機関でも教えることが可能です。
というのは、そういった機関では、監督や権威の行使が学問の領域に限られており、
霊性や道徳の領域は含まれていないからです。
最後に、女性に関するパウロの見解は、
母親の役割を果たすことに、より大きな意義を持たせているように思えます。
母親という役割は女性特有のものです。
女性の役割は、他の女性や子供たちを教えることで更に拡大するかもしれませんが、
男性を教えることを「より大きな栄光」と考えるべきではありません。
引用元:Paul’s Concept of Teaching and 1 Timothy 2:12
●まとめ
質問の答えは、質問の後半部分にあると思います。
おわり
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