女性の救いについて
子供授かることが出来ずに離婚してしまいました。このような私が洗礼を受けてしまい教会の方々に迷惑をかけているということは聖書から読み取ることが出来ます。やはり救われないのかもしれません。hanacoco
このコメントへのお返事です。
●回答の前提
まず、hanacocoさんが教会の一員になったことが教会の迷惑になっている、
という趣旨のことが書かれていますが、この部分、私には意味不明です。
百歩譲って、仮に何らかの迷惑が掛かっているとしても、
それがhanacocoさんの救いの妨げになる可能性はゼロです。
コメントの最後に、「やはり救われないのかもしれません」とあります。
この「救われる」という言葉を、
1テモテ2:15的な意味でおっしゃっている場合、
現在、hanacocoさんは独身の状態ですので、子育ての報いは受けらせませんし、
男女の役割逆転の誘惑から解放されることもありません。
ですので、その意味でおっしゃっている場合は、確かに救われることはありません。
次に、通常の霊的な救いの意味で「救われない」とおっしゃっている場合、
hanacocoさんは救いに関する教理の理解が曖昧である、ということになります。
この後の回答は、後者のケースであることを前提にお答えしていきます。
●サマリヤの女
イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
女は答えて言った。「私には夫はありません。」
上記の箇所に記されているサマリヤ人の女性は、
5人の男性と同棲、あるいは結婚/離婚を繰り返し、
6人目の男性と同棲している状態でキリストに出会い、救われました(26節)。
ですから離婚経験があるからといって、救いを受けられないということはありません。
サマリヤの女には子はなかったようですので、
子供がいないことが救いの妨げになることもありません。
サマリヤの女と同じように、イエスがキリストであることを信じるなら救われるのです。
●救いの条件
洗礼を受けていても、自分が救われているかがはっきりわからない人は、
潜在的には結構、大勢いると思います。
しかし救いというのは、複雑なことではありません。
以前も別の記事で、イエスの隣りで十字架についていた犯罪人を例に挙げましたが、
再登場してもらおうと思います。
ルカ23:39~43
十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言った。
ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
この犯罪人は、hanacocoさんと違って洗礼を受けることができませんでした。
教会に通うこともできませんでした。
十字架にかかる前は、犯罪を犯していました。しかも相当の重罪です。
犯罪人が、イエスを信じる告白をしたのが12時直前です。
イエスは3時ごろに息を引き取りましたから、
地上でイエスと過ごした時間は2,3時間です。
しかし、それでも彼は救われたのです。
●まとめ
ローマ10:9(新共同訳)
救われるのに必要な条件は、上記の聖句にあるとおりです。
離婚しているからとか、子供がいないとか、その他諸々の事情は、
救いの妨げになりません。
心からイエスを救い主として信じ、その信仰を公に告白してください。
それができれば、hanacocoさんは救われるのです。
重要な点は、「信じる」ということです。
信じる代わりに、自分の努力でクリスチャンとしてのステータスを築き上げても、
絶対に救われることはありません。
逆に、自分はクリスチャンとして余りにも足らない部分が多すぎる、
どう考えてもクリスチャンというには不相応だ、と思える状況であっても、
イエスを信じているなら必ず救われます。
そんなのは都合がよすぎる、と思うかもしれませんが、
それが恵みというものであり、信仰による救いというものです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。ローマ10:10
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