【ミニ投稿】「新生と更新との洗い」テトス3:5
新改訳ご利用の方向けのシンプルなワードスタディーです。
●新生
テトス3:5
神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
新生:パリンゲネスィーア
パリンゲネスィーアは、「再び」を意味するパリンと、
「誕生」を意味するゲネスィスからなる言葉です。
日本語の聖書では、「新生、再生」と訳されています。
ちなみにゲネスィスは、英語のジェネシス(創世記)の語源です。
テトス以外では、以下のマタイ19:28にしか使われていません。
アーメン、私はあなたたちに言う、人の子が彼の栄光の位に座する再生〔の時〕には、私に従って来たあなたたちもまた、十二の位に座して、イスラエルの十二の部族をさばくであろう。マタイ19:28(岩波翻訳委員会訳)
こちらの「再生」は、言うまでもありませんが、地球そのものが新しく生まれ変わり、
新天新地になったときのことを指しています(黙示録21:1)
●新生と救いの関係
テトスの箇所の「救ってくださいました」の部分がアオリスト過去形ですので、
私たちの霊の「再生」は、何度も繰り返される出来事ではなく、
義認の際に一度だけ起こるものであることがわかります。
繰り返し起きる出来事を描写する場合、
ギリシャ語では未完了過去形が使われることになっているからです。
霊の再生は、義認の際に一度しか起こりませんから、
ときどき集会の中で、救いの確信のない人が前に進み出て、
もう一度イエスを受け入れる祈りをするよう促されたりしますが、
あれを繰り返したからといって、何度も繰り返し救われるわけではありません。
(そうすることが悪いと言っているわけではありません)
●新生と義認
義認というのは、
神が裁判官として、私たちの無罪を宣告することを意味します。
ですから義認は、後にも先にも、一生に一度だけしか起こりません。
一度無罪になった私たちが、再び有罪にされることはないのです(ローマ8:1)。
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