ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】「新生と更新との洗い」その2 テトス3:5


 
 前回のつづきで、「更新」と「洗い」についてのワードスタディーです。
 
 
更新
 
テトス3:5 
神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました
 
 
更新:アナカイノスィス
 
アナカイノスィスは、時系列的にではなく質的に新しくなることを言い、
 
          以前よりも質的に優れたものになるという含みがあります。 
 
          テトス以外では、ローマ122で使われています。

 
 動詞形のアナカイノオーは、次の箇所で使われています。
 
2コリント4:16 
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています  
 
 
 新改訳では「更新」という堅い言葉が使われていますが、新共同訳は次のように訳しています。
 
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです
 

 私たちが信仰をとおして義と認められたとき、

 父なる神は、御霊によって私たちの霊を新たに造りかえてくださいました

 生まれながらにして「怒りの子ら」であった私たちは、

 質的にまったく別である「神の子ども」へと造りかえられたわけです。

 
洗い=お風呂
 
洗いルトゥローン
 
   ルトゥローンは、「お風呂」を意味します。


 ギリシャ語学者ウースト博士は、次のように説明しています。
 
この箇所で、再生は「洗い」であると言われている。ルトゥローンという言葉の意味は「風呂」である。エペソ526でもこの言葉が使われており、そちらでは水の風呂、つまり水浴がクリスチャンをきよくする、と述べられている。神の御言葉は、信者をきよくする水風呂として理解されているのだ。御言葉は信者の中から罪深いものを取り出し、正しいものを招き入れるのだ
 

 
 ヨハネ13章の洗足の儀式の箇所では、動詞形のルーオー「洗う」が使われています。
 
ヨハネ13:10 
エスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
 
 

●文法
 
διὰ λουτροῦ παλιγγενεσας καὶ  νακαινσεως 
πνεματος γου
 

 新改訳は「新生と更新との洗い」という具合に、
 
「新生」と「更新」の両方が「洗い」にかかった訳し方をしています。
 
 しかし原文を見ると、kaiという接続語が一つしか使われていません。
 
 もし「新生」と「更新」の両方が「洗い」にかかるのなら、
 
 λουτροの後に、もう一つkaiがあるはずです。
 
 なので、正しい訳し方としては、岩波翻訳委員会訳のように訳すべきだと思います。
 

〔神は〕私たちが行なった、義の行ないを根拠にしてではなく、御自身の憐れみに従って、私たちを救った、再生の洗いを通して、そして聖霊による刷新を〔通して〕
 
 
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