【ミニ投稿】「新生と更新との洗い」その2 テトス3:5
前回のつづきで、「更新」と「洗い」についてのワードスタディーです。
●更新
テトス3:5
神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
更新:アナカイノスィス
以前よりも質的に優れたものになるという含みがあります。
テトス以外では、ローマ12:2で使われています。
動詞形のアナカイノオーは、次の箇所で使われています。
2コリント4:16
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
新改訳では「更新」という堅い言葉が使われていますが、新共同訳は次のように訳しています。
私たちが信仰をとおして義と認められたとき、
父なる神は、御霊によって私たちの霊を新たに造りかえてくださいました。
生まれながらにして「怒りの子ら」であった私たちは、
質的にまったく別である「神の子ども」へと造りかえられたわけです。
●洗い=お風呂
洗い:ルトゥローン
ルトゥローンは、「お風呂」を意味します。
ギリシャ語学者ウースト博士は、次のように説明しています。
この箇所で、再生は「洗い」であると言われている。ルトゥローンという言葉の意味は「風呂」である。エペソ5:26でもこの言葉が使われており、そちらでは水の風呂、つまり水浴がクリスチャンをきよくする、と述べられている。神の御言葉は、信者をきよくする水風呂として理解されているのだ。御言葉は信者の中から罪深いものを取り出し、正しいものを招き入れるのだ。
ヨハネ13章の洗足の儀式の箇所では、動詞形のルーオー「洗う」が使われています。
●文法
διὰ λουτροῦ παλιγγενεσίας καὶ ἀνακαινώσεως
πνεύματος ἁγίου
新改訳は「新生と更新との洗い」という具合に、
「新生」と「更新」の両方が「洗い」にかかった訳し方をしています。
しかし原文を見ると、kaiという接続語が一つしか使われていません。
もし「新生」と「更新」の両方が「洗い」にかかるのなら、
λουτροῦの後に、もう一つkaiがあるはずです。
なので、正しい訳し方としては、岩波翻訳委員会訳のように訳すべきだと思います。
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