【ミニ投稿】御霊の聖め 2テサロニケ2:13/1ペテロ1:2
「御霊の聖め」の意味を学びます。
●御霊の聖めの中で
2テサロニケ2:13
しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
1ペテロ1:2
上記の2箇所の中に、
「御霊による聖めによって」「御霊の聖めによって」というフーレズがあります。
日本語では少し違う表現になっていますが、原文ではどちらもまったく同じ表現で、
「エン ハギアスモ プニューマトス」です。
直訳は「御霊の聖めの中で」となります。
エン ハギアスモ プニューマトス
~の中で 聖め 御霊の
●聖め=聖別
「聖め」と訳されているのはハギアスモスという言葉で、聖別することを言います。
ギリシャ・ローマ社会では、次のような使われ方をしていました。
ハギアスモスは、ギリシャの異教において、建物や祭壇、捧げ物を宗教的な目的で取り分けるときに使われた言葉である。取り分けられたものは、神聖で聖い捧げ物であるとされた。この原則は礼拝者にも適用された。礼拝者は取り分けられた人間であり、神殿への捧げ物であった。
新改訳聖書は「取り分ける」という行為を表すために、
「聖別する」という造語を作りました。
ですから上記の箇所の「聖め」は、新改訳的に言うと「聖別」です。
上記の箇所で述べらている御霊による「聖別」は、
一般的に言われているクリスチャンの「聖化」とは別のものです。
「御霊の聖め」は、
罪人が救われるときに、御霊がその人を取り分ける働きを指しています。
ギリシャ語学者のウースト博士は、
「御霊の聖め」について次のように説明しています。
救いに先だち御霊によってなされるこの働きは、聖書の中で「御霊の聖め」と言われている。「御霊の聖め」は、御霊による聖別のわざである。御霊はまだ救われていない人を不信仰の状態から取り分け、信仰へと導く。また、第1のアダムの立場から取り分け、最後のアダムの立場に導く。前者は罪と死をもたらし、後者は義といのちをもたらす。このことを「立場上の聖め」と呼んでいる。
●動詞のケース
1コリント6:11
この箇所の「聖なる者とされ」の部分には、
動詞ハギアゾー(聖める)が使われています。
ですから直訳すると、(御霊によってあなたがたは)「聖められた」となります。
「洗われ/聖なる者とされ/義と認められた」はどれもアオリスト過去形で書かれており、
救われた瞬間のことを表現しています。
信者になってからの聖めのことではありません。
この動作の主体は「神の御霊」ですから、
前述した「御霊の聖め」の動詞バージョンということになります。
●まとめ
私たちの救いは、三位一体の神だからこそ成り立つものです。
父なる神が永遠の昔に私たちの救いを予定し(エペソ1:4~5、2テモテ1:9)、
子なる神キリストが私たちの贖いを成し遂げ(2テモテ1:10)、
2000年後、御霊の聖別の働きによってその贖いがに私たちに適用されました。
私たちが受けた救いは、三位一体の神以外には成し得ない、特殊な働きなのです。
使徒ペテロはこのことを知っていたので、一つの聖句にまとめて書きました。
1ペテロ1:2
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