ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【超短編】信仰を弁証する 1ペテロ3:15後半


 
 今回の記事はギリシャ語云々よりも、ペテロの勧めそのものが重要だと思います。
 
 
信仰の弁証
 
1ペテロ3:15 
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい
 
 
「弁明できる」と訳されているのはアポロギーアという言葉で、
 
「(法廷などでの)弁明」を意味します。
 
 
 英語で弁証論のことをアポロジェティック/apologeticsといいますが、
 
 このアポロギーアが語源になっています。
 
 また謝罪のことをapology(アポロジー)といいますが、
 
 昔の英語では謝罪という意味はなく、
 
「証拠となる論理的な議論」という意味だったそうです。
 
 

まとめ
 
 使徒パウロには、福音を弁証する召しも与えられていました。
 
ピリピ1:16 
一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが
 
 
 クリスチャンは必ずしも、
 
 パウロのように福音全体の弁証に召されているわけではありません。
 
 しかし自分の信仰を弁明することには召されています。
 
 なぜ自分には希望があるかを誰かに尋ねられたときには、
 
 言葉で説明できるように備えましょう。
 
 
心の中で主キリストを聖とせよ。〔その際〕あなたがたが持っている希望について、その理由をたずねるすべての人に対して、弁明できるよういつも準備している者〔であれ〕。
                         岩波翻訳委員会訳1ペテロ315
 
 
 
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