ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

キリストはノアの時代に何をしたのだろうか? 1ペテロ3:19~20


 
 解釈が難しくて物議を醸している箇所です。
 
 
ワードスタディー
 
1ペテロ3:19~20 
その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです
 
 
捕らわれの霊たち」と訳されている部分を、原文からコピペすると次のとおりです。
 

 τος   ν   φυλακῇ   πνεμασιν 
 冠詞  の中に  牢獄      霊たち    


 直訳=牢の中の霊たち
 
 
「牢」と訳されているのはフィラケーという言葉で、
 
「牢」または「見張り」という意味です。

 次のような箇所でも使わています。 
 
 
使徒5:19 
ところが、夜、主の使いがの戸を開き、彼らを連れ出し
 
 

みことばを宣べられたケリュソーという一語だけで

 それがアオリスト過去形で書かれています。

 キリストが何度も彼らのところに行って告げ知らせたのではなく、

 一時期に集中して語ったことがわかります。


 
 ケリュソーは「使者として告げ知らせる」というのが原義で、
 
 新約聖書の場合は、「福音を告げ知らせる」という意味でも使われます。
 
 ケリュソーの使用例として、次の箇所があります。
 
マルコ1:4 
バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマ説いた
   

文脈を考える
 
 今回の箇所は、ギリシャ語のワードスタディーだけでは、意味を捉えきれません。
 
 この箇所の前後の脈絡を考え、それに見合う解釈をする必要があります。
 

 15節では「義のために苦しむ」ことがあり、
 
 17節では「善を行って」も苦しめられる、と言っています。
 

 つまりこの手紙の読者たちは、迫害が激しい環境に生きており、
 
 ペテロは彼らを励まそうとしている、というのが背景です。
 
 
解釈
 
 神学者ウェイン・グルーデムの見解を抄訳します。
 
この箇所について最も満足の行く解釈は、アウグスティヌスの解釈です。

彼の見解は、十字架上での死と復活の間にキリストが何かをしたということではなく、
 
ノアの時代に「霊において」「牢の中にいる霊たち」のところへ行ったというものです。
 
ノアが箱舟を建造していた間、

キリストはノアを通して、霊において不従順な人々に告げ知らせたのです。

この見解は、ペテロの手紙の他の箇所と整合します。
 
1ペテロ111には、

キリストの御霊が」旧約時代の預言者たちにあかししたと書かれています

このことを考慮に入れると、
 
「キリストの御霊が」ノアを通して当時の人々に語った、ということになります。
 
2ペテロ25には、ノアは「義の宣教者」だった、とあります(岩波翻訳委員会訳)。
 
「宣教者」と訳されていいるのはケリュクスという言葉で、

1ペテロ3:19のゲリュソーと同じ語根を持つ言葉です。
 
それゆえ、「捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられた」というのも、

キリストがノアを通してそうした、という意味である可能性が高いのです。
 
当時の人々は、ペテロが手紙を書いた時点ではハデスの中に閉じ込められているので、

ペテロは「捕らわれの霊たち」と書いたのです
                                (引用終わり)
 
 
まとめ
 
 新改訳は、「キリストは・・・みことばを宣べられた」と訳していますが、
 
 ノアの時代の人たちに、「福音」を告げたわけではありません。
 
「義の宣教者」として、洪水という神の裁きが来ることを告げ知らせたのです。
  
 岩波翻訳委員会訳は、この点を理解して訳しているのかもしれません。

 
牢にいる霊たちのところにも、〔キリストは〕行って宣べ伝えたのであった
 

 
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