【ミニ投稿】セカンドチャンス??? 1ペテロ4:5~6
原文の前置詞をしっかり把握しないと、セカンドチャンス論になってしまう箇所です。
●前置詞と文脈がポイント
1ペテロ4:5~6
彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。4:6 というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。
「というのは」と訳されている部分には、
①「~のために」という目的を表す前置詞と
②「このこと」という意味の指示代名詞が使われています。
これをしっかり訳出しないと、まるで6節は、
セカンドチャンスを論じているかのような表現になってしまいます。
εἰς τοῦτο γὰρ
~のために このこと 実に
上記は6節の冒頭部分で、新改訳の「というのは」と訳されている部分です。
直訳すると「実にこのことのために」となります。
「このこと」というのは、5節の内容を示していますから、
6節は5節の文脈の中で解釈しなければなりません。
5節の内容を汲み取ってこのフレーズを言い換えると、
「神の裁きを免れるために」・・・となります。
そしてこのフレーズの後に、「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのです」
がつづきます。
「実にこのことのために、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのです」
という具合に、原文では書かれています。
言うまでもなく、「死んだ人々」というのはペテロの時代のクリスチャンのことです。
言い換えると、こうなります。
「神の裁きを免れるために、死んだ信者たちにも福音が宣べ伝えられていたのです」
そして後半が続きます。
「それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした」
●「人間としてさばかれる」とは?
「人間として」というフレーズの「~として」の意味に関して、
ギリシャ語学者のウースト博士の説明を見てみましょう。
「~として」と訳されているカタという言葉の文字通りの意味は、「~の下で」である。
これは支配のことを指している。
この裁きは、人間の手によって執行されたものだったということだ。
上図のkataという↓が、「~として」と訳されている前置詞です。
「人の下で」「神の下で」という表現の意味を理解する助けになるかと思います。
●まとめ
以上のことから、
「死んだ人々」というのは、殉教者のことを指している可能性が高いと言えます。
彼らは人間の手によって裁かれて死んだけれども、
神の支配の下で霊が生きるために福音が語られていたというのが、
ペテロの云わんとしていることです。
こうしてペテロは、義のために仮に死ぬことになっても、
霊は神のもとで生きる、と言って手紙の読者を励ましているのです。
このように解釈すれば、4章の終わりのペテロの言葉とピッタリ整合します。
ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。1ペテロ4:19
↓最後までお付き合いくださりがとうございます↓