恵みの賜物 1ペテロ4:10
霊的賜物についての記事です。
●恵みの賜物
1ペテロ4:10
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
「カリス」という部分が語幹で、「恵み」のことです。
なので、カリスマの文字通りの意味は「恵みの賜物」です。
分不相応な神の力が発揮される能力だということです。
霊的賜物には、見るからに超自然的な機能を果たすものもあれば、
「奉仕」のように一見普通の働きに見えるものもありますが、
その場合でも力そのものは、超自然的に「神が供給してくれる」ものです。
語るのであれば、神の言として〔語り〕、奉仕するのであれば、神が供給してくれる力に基づいて〔奉仕しなさい〕。イエス・キリストにより、すべてにおいて神に栄光が帰せられるためである。この方に栄光と力がいついつまでも世々にあるように、アーメン。
(岩波翻訳委員会訳1ペテロ4:11)
リオ五輪の男子400メートルで、
彼に与えられた賜物が、「神が供給してくれる力」によって機能した結果です。
「(神の)言葉、神の応答や発言」を意味します。
マッカーサーは、次のように説明しています。
概してロギオンは重要な語録やメッセージのことを意味したが、特に超自然的な語り掛けのことを指した。当時の様々な異教においては、霊媒師や予言者が、オカルト的に将来の予告を語ったり、超自然的なオラクルによる霊界からのメッセージを告げた。
(引用終わり)
1ペテロ以外の箇所では、
●どもりの癒やし
少し前の記事で、フィリピンの山岳地帯で結核の男性が癒やされた証を書きましたが、
その続きを書きます。
野外の伝道集会が終わった後、私たちは宿舎で休んでいました。
(宿舎といっても高床式のログハウスで、電気など通ってないので、
日が落ちると外も室内も真っ暗です)
すると16歳のクリスチャンの青年が、
現地語の通訳者と一緒に宿舎にやって来ました。
彼はひどい吃音で、イエスさまのことを語りたいけど語れない、
だから癒やされるように祈ってほしいというのです。
私たちはみんなで手を置いて祈りました。
すると物凄い圧迫を感じました。
祈りを止めたくなるような力です(悪霊からの反発)。
それでも何分か祈っていると、祈りが軽くなりました。
それで私は祈りを止めるように言い、青年に様子を尋ねました。
すると、通訳を通さなくても癒やされていることがわかりました。
青年がペラペラと流ちょうに話していたからです!
「神が供給してくれる力」によって、どもりが完全に癒やされました。
村の人たちは喜び、私たちが帰るときに仔山羊や鶏をくれました。
でも持ち帰れないので(それに可哀想だし)、気持ちだけ受け取りました。
1コリント12:4~7(岩波翻訳委員会訳)
さて、恵みの賜物には区別があるが、しかし同じ霊が〔そこには〕ある。
また、奉仕にも区別があり、そして同じ主がいる。
働きにも区別があるが、しかし同じ神、〔すなわち〕すべてのもののうちにあってすべてのことを働かれる神がいる。
さて、それぞれに霊の現れが与えられているのは、〔共同の〕益のためである。
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