ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】思い煩いを神の上に投げよ 1ペテロ5:7


 
 言葉の意味を調べてみたところ面白かった、という内容です。
 
 
「ゆだねる」=「~の上に投げる」
 
1ペテロ5:7 
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです
 
 
「ゆだねさなさい」と訳されている言葉を調べてみたところ、
 
 エピリプトーといって、「~の上に投げる」という意味の言葉でした。
 
 エピが「~の上に」を意味し、リプトーが「投げる」です。
 
 なのでペテロは、思い煩いを神の上に投げろ、と勧めているのです。
 

 実際、岩波翻訳委員会訳は、そのように訳しています。
 
あなたがたの思い煩いをすべて神のもとに投げ込みなさい。神があなたがたの面倒をみて下さっているのだから
 
 
 ちなみにペテロは、詩篇55:22を引用しているのだそうです。
 
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる
 
 
 そう言われてみると、そっくりですね。
 
 七十訳では「重荷」のところに、「思い煩い」というギリシャ語が使われています。
 
「ゆだねよ」のところには、やはりエピリプトーが使われています。
 
 違いは1ペテロでは「あなたがた」と複数ですが、詩篇では「あなた」で単数です。
 
 なので、ほぼそのまま引用したようなものですね。
 
 
「心配してくださる」=(いつも)心配している
 
「心配してくださる」という部分には、
 
「気に掛ける」という意味のメローという言葉が使われています。
 
 これが現在形で書かれていることから
 
 いつも心配てくださっていることがわかります。
 
 思い煩いを委ねたときだけではないということです。
 
 
泣き出したポール
 
 あるとき教会の集会で、みんなで祈っていました。
 
 何を祈っていたかは忘れましたが、輪の中にオーストラリア人の兄弟がいました。
 
 私は聖霊から、ポールの霊的な状態が超自然的に示されました。
 
(1コリント128の「知識の言葉」という賜物です)
 

 ポールが孤独の中にいることが、はっきりとわかりました。
 
(感覚的に、まったく疑う余地のないレベルの鮮明さで示されます)
 
 なので私は、ポールのために祈りはじめました。
 
 すると普段は落ち着いた性格のポールが、泣きじゃくりはじめてしまいました。
 

 あとで話してくれたのですが、奥さんが(日本人の)未信者で、
 
 ポールが信仰熱心であることを嫌がっていたために辛かったのだそうです。
 
 しかし主が、自分の状態を知っておられることがわかり、
 
 とても嬉しかったとのことでした。
 
 主が孤独なポールの心の琴線に触れてくださり、癒やしてくださったのです。
 

 私が何を言いたいかというと、
 
 主は私たちのことをいつも心配してくださっているということです。
 
 たとえ私たちが言葉に出して願っていないときでも、
 
 主は私たちのことを気に掛けてくださっています。
 
 主のケアーは現在形なのです。

 ありがたいですね。
 
 
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