ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

痛悔の詩篇 詩篇6篇


  
詩篇6:1~4 
主よ。御怒りで私を責めないでください。激しい憤りで私を懲らしめないでください。
主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。
私のたましいはただ、恐れおののいています。主よ。いつまでですか。あなたは。
帰って来てください。主よ。私のたましいを助け出してください。あなたの恵みのゆえに、私をお救いください
 
 
 デイビッド・ガジックという聖書注解者によると、
 
 この詩篇は「7つの痛悔の詩篇の第一番目」だそうです。
 
 初期の教会では、イースター前の「灰の水曜日」にこの詩篇を歌う慣習がありました。
 
 
 マシュー・ヘンリーの注釈にはこうあります。
 
ダビデはエレミヤと並んで、嘆きの預言者であった。・・・
 
 苦しみの中にいる者、病の中にいる者はこの詩篇を歌いなさい。
 
 

ワードスタディー
 
「御怒り」と訳されているアフという言葉には、なんと「」という意味があります。
 
 そのため創世記27にも使われています。
 
神である主は、土地のちりで人を形造り、そのにいのちの息を吹き込まれた
 
 
 ヘブル語辞典によると、「責める」と訳されている語は、
 
 この箇所の場合、「矯正する、叱責する」という意味だそうです。
 
「懲らしめる」もほぼ同様で、「矯正のための懲らしめ」とあります。
 
 
「激しい憤り」と訳されているヘマーは、高温という意味の「熱/heat」と、
 
 病気になったときの「熱/fever」の意味があります。
 
 それゆえ「灼熱の立腹」という意味もあります。
 

 NETバイブルの注釈によると、「激しい憤り」は、
 
 詩篇の著者が罪を犯し、神に懲らしめられていることを示しているそうです。
 
 
 2節の「いやす」はラファというヘブル語で、出エジプト記1526の、
 
わたしは主、あなたをいやす者であるヤーウェ・ラファ」のラファです。
 
 
私の骨は恐れおののいています」という表現ですが、
 
 骨は、感情が存在する場所として考えられていたそうです(NET)。 
 
 
 4節「帰って来てください。主よ」
 
 デイビッド・ガジックは、こう解説しています。

 
 この訴えは、神が遠く離れているとダビデが感じていることを示している。
 
 この一因は、試練による精神的苦痛である。
 
 神が近くにいると感じるとき、私たちはどんなことにも直面できると思う。
 
 しかし神が遠くに感じるとき、私たちは些細な試練に対しても弱い。
 

 
神の言葉と癒やし
 
 昔、私は井上哲雄という牧師先生から癒しの証を聞きました。
 
 この方は「現今の奇蹟」という本の著者で、世界中で用いられた癒しの伝道者です。
 
 井上牧師がまだ神学生だった頃、友人のクリスチャン薬剤師の兄弟が、
 
 薬の調合でミスを犯し、ある子供さんの薬に、
 
 致死量の青酸カリを入れてしまったそうです。
 
 子供さんは死にそうになり、病院のベッドで苦しんでいました。
 
 薬剤師の兄弟は居ても立ってもいられず、
 
 井上神学生に癒しの祈りをしてほしいと頼みました。
 
 井上神学生は当時、癒しの祈りなど一度もしたことがなかったそうです。
 
 しかし頼み込まれて病室に入ると、青ざめた男の子がベッドに横たわっていました。
 
 どうしていいかわからない井上神学生でしたが、
 
 とにかく祈ろうとしたところ、文語訳の出エジプト記15:26節が思い浮かびました。
 

 我はヱホバにして汝を醫す者なればなり

 
 考えるよりも先にその言葉が口から出るや、病室内が突然明るくなり、
 
 ベッドは揺れ動き、心には平安がやって来たそうです。
 
 そして死にかけていた男の子は、ベッドの上で起き上がりました。
 
 傍らにいたお母さんは未信者でしたが、息子さんが治ったことを直感したそうです。
 
 ハレルヤ! 主の御言葉は真実ですね。



詩篇6:9
主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。
 

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