痛悔の詩篇 詩篇6篇
主よ。御怒りで私を責めないでください。激しい憤りで私を懲らしめないでください。
主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。
私のたましいはただ、恐れおののいています。主よ。いつまでですか。あなたは。
帰って来てください。主よ。私のたましいを助け出してください。あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。
苦しみの中にいる者、病の中にいる者はこの詩篇を歌いなさい。」
●ワードスタディー
そのため創世記2:7にも使われています。
神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
この箇所の場合、「矯正する、叱責する」という意味だそうです。
「懲らしめる」もほぼ同様で、「矯正のための懲らしめ」とあります。
病気になったときの「熱/fever」の意味があります。
それゆえ「灼熱の立腹」という意味もあります。
詩篇の著者が罪を犯し、神に懲らしめられていることを示しているそうです。
「わたしは主、あなたをいやす者である/ヤーウェ・ラファ」のラファです。
「私の骨は恐れおののいています」という表現ですが、
骨は、感情が存在する場所として考えられていたそうです(NET)。
4節「帰って来てください。主よ」
デイビッド・ガジックは、こう解説しています。
この訴えは、神が遠く離れているとダビデが感じていることを示している。
この一因は、試練による精神的苦痛である。
神が近くにいると感じるとき、私たちはどんなことにも直面できると思う。
しかし神が遠くに感じるとき、私たちは些細な試練に対しても弱い。
●神の言葉と癒やし
昔、私は井上哲雄という牧師先生から癒しの証を聞きました。
この方は「現今の奇蹟」という本の著者で、世界中で用いられた癒しの伝道者です。
井上牧師がまだ神学生だった頃、友人のクリスチャン薬剤師の兄弟が、
薬の調合でミスを犯し、ある子供さんの薬に、
致死量の青酸カリを入れてしまったそうです。
子供さんは死にそうになり、病院のベッドで苦しんでいました。
薬剤師の兄弟は居ても立ってもいられず、
井上神学生に癒しの祈りをしてほしいと頼みました。
井上神学生は当時、癒しの祈りなど一度もしたことがなかったそうです。
しかし頼み込まれて病室に入ると、青ざめた男の子がベッドに横たわっていました。
どうしていいかわからない井上神学生でしたが、
とにかく祈ろうとしたところ、文語訳の出エジプト記15:26節が思い浮かびました。
「我はヱホバにして汝を醫す者なればなり」
考えるよりも先にその言葉が口から出るや、病室内が突然明るくなり、
ベッドは揺れ動き、心には平安がやって来たそうです。
そして死にかけていた男の子は、ベッドの上で起き上がりました。
傍らにいたお母さんは未信者でしたが、息子さんが治ったことを直感したそうです。
ハレルヤ! 主の御言葉は真実ですね。