祈りが聞かれるコツ 1ヨハネ3:21~22
なんでも受けることができる祈りの秘訣を、ヨハネから学びます。
愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。
21節は、聖書によってかなり訳し方が違います。
新共同訳
わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、
岩波翻訳委員会訳
もし[私たちの]心が責めなければ、私たちは神に対して率直でいることができる。
後半の原文をコピペしました。ヨハネは、どう言っているのでしょうか。
παρρησίαν ἔχομεν πρὸς τὸν θεὸν
パレスィア 私たちは持っている に向かって 神
次の語はエホーで、「持つ」という意味、
プロスは「~に向かって」
最後は、定冠詞+神 です。
「自由で恐れのない確信、明朗な勇気、大胆さ、確信」
といった意味になるとのことです。
なので、どの聖書の訳でも良いのではないでしょうか。
3つを総合した感覚で受け取っておけば良いように思います。
●求めるなら
岩波翻訳員会訳
愛する者たちよ、もし[私たちの]心が責めなければ、私たちは神に対して率直でいることができる。そして願うならば何でも彼から受けることになる。なぜなら私たちは彼の誡めを守っており、その面前で意にかなうことを行なっているからである。
「求めるものは何でも神からいただくことができます」という訳は、
原文と少し違っています。
岩波翻訳員会訳が、ほぼ直訳になっており、
「願うならば何でも彼から受けることになる」と訳されています。
もっと厳密に言うと、願うというよりは、
「求めるなら、彼からどんなものでも受ける」と書いてあります。
具体的に求めることが必要なのです。
●理由
最後にヨハネは、どんなものでも受けられる「理由」を述べています。
なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。
神に喜ばれているかどうか、これが一番大事ですね。
喜ばれているなら、どんなものでも受ける、というのがヨハネの主張です。
祈りに答えるのは人格(神格)を持ったお方ですから、
当然と言えば、当然かもしれません。
ここで重要なのは、「守る」と「行なう」が現在形で書かれていることです。
言い換えると、継続的に神の命令を守り、
継続的に神に喜ばれることを行なっている、
というのが、なんでも受けられる理由です。
お金が必要なときだけ献金するのではなく、
ほしいものがあるときだけ従うのではなく、
ライフスタイルとして神の命令を守り、神に喜ばれていることが、
祈りが叶う理由だと、ヨハネは教えているわけです。
では、肝心の神の命令とは何でしょうか?
↓最後までお付き合いくださりがとうございました↓