堕落した人類とその救い 詩篇14
愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。
主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。
不法を行なう者らはだれも知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、主を呼び求めようとはしない。
見よ。彼らが、いかに恐れたかを。神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。
おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。
この詩篇は、ローマ3:10~12で引用されています。
この詩篇を読むときは、救われる前の自分を想い起して読むとよいかもしれません。
1節の「腐っており」という部分ですが、
創世記6:11~12
地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。創世記1:31
神が造られたものはすべて非常にトーブでしたが、
人が罪を犯した結果、トーブな人間は一人もいなくなりました。
このギャップは、途轍もない隔たりですね。
創造したものを台無しにされた神さまの気持ちが、少しだけわかる気がします。
●2節
主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
「知恵のある者、賢明に振る舞う者」という意味だという注釈がついています。
人は罪のゆえに霊的な知恵を失い、賢明に振る舞えなくなったのです。
●3節
彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。
「彼らはみな」という部分には、
人類がこぞって霊的に腐敗したことを示しています。
前田訳のローマ5:12を見ると、罪が万人に行きわたっている様が鮮明です。
こうして、すべての人が罪を犯したので、すべての人に死が行きわたりました。
前田訳ローマ5:12
3節後半でダビデは、自分自身も罪人に含めました。
「ひとりもいない」というフレーズでわかります。
●4節
不法を行なう者らはだれも知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、主を呼び求めようとはしない。
この節は、「わたし」とひらがなで書かれていることからわかるとおり、
主ご自身が語っている箇所です。
この節は、エジプトでの奴隷時代のことを述べている可能性があるそうです。
その場合、5節は紅海でエジプト軍が溺れ死んだ光景を述べているとのことです。
●5~6節
見よ。彼らが、いかに恐れたかを。神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。
おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。
ここで詩篇53篇を見てください。53篇は、基本的に14篇と同じ内容です。
53篇のこの箇所には、こう書かれています。
53:5 見よ。彼らが恐れのないところで、いかに恐れたかを。それは神が、あなたに対して陣を張る者の骨をまき散らされたからだ。あなたは彼らをはずかしめた。それは神が彼らを捨てられたからだ。
茶色にした部分は、描写の内容が具体的であることから、
過去に実際にあった出来事を述べている可能性が高いとのことです。
であるならば14:4も過去の実際の出来事に関する箇所と考えたほうがよく、
4節は、敵国の者たちを指しているのだろうとのことです。
要するに、4節はエジプトのことを述べている可能性が高いということです。
●7節
「救いがシオンから来るように」とありますが、なぜシオンなのでしょうか?
そこに神の臨在を象徴する契約の箱があったからだそうです。
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