恐れを締め出す愛とは? 1ヨハネ4:18
愛の伝道者ヨハネによる、愛の講義です。
16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。
18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
新改訳は、「恐れる者の愛は、全きものとなっていない」と訳しています。
この訳は、意味としては間違いではありませんが、原文どおりではありません。
原文では主語は「愛」ではなく、「恐れる者」になってます。
また原文には「愛において/エン テー アガペー」と書かれているので、
岩波訳が原文どおりに訳していると言えます。
恐れには懲らしめが伴い、恐れる者はまだ愛において全き者とされていないからである。
●説明
ヨハネがこの箇所で語っている愛は、信者と神の一体化をとおして現される愛です。
16節には「留まる」という言葉が使われており、
この言葉によってヨハネは、信者と神の継続的な関係を述べています。
岩波訳4:16
その愛の中に留まる者は神の中に留まり、神もその人の中に留まる。
関係というのは、成長するものです。
神の愛が体験的にわかり、神との信頼関係が成熟したクリスチャンは、
その人の内側で神の愛がフルに表れます。
その愛は神の愛とも言えますし、主にあってその人が持っている愛とも言えます。
ある節では神の愛について述べているようにも思えるし、
別の節では、その人の愛について述べているようにも取れるのはそのためです。
その意味で、新改訳は必ずしも間違ってはいません。意訳したのです。
なので18節の「愛」は、「霊的に成熟した人に表れる神の愛」と定義づけると、
わかり易いと思います。
そのような愛には恐れがありません、そのような愛は恐れを締め出します、
というのがヨハネの主張です。
Such love has no fear, because perfect love expels all fear. If we are afraid, it is for fear of punishment, and this shows that we have not fully experienced his perfect love.
そのような愛には恐れがありません。なぜなら完成した愛は、恐れを追い出すからです。
恐れている人は、罰を受けることを恐れているのです。
それはその人が、神の完全なる愛をまだ最大限に体験していないことを示しているのです。
●確認
ヨハネがこの箇所で語っている愛が、相互関係的な愛であるかどうかは、
19節以降の文脈に整合するかどうかで確認できます。
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
上記の箇所で、まずヨハネは「私たちは愛しています」と言っています。
しかし何を愛しているかは述べていません。
次にヨハネは、神がまず私たちを愛してくださったことを言い(19節後半)、
そのお返しに私たちのほうが「神を愛する」ことを述べています(20節冒頭)。
そしてその次は兄弟を愛することについて語り、
最後にもう一度、神を愛することに言及しています。
これは、ヨハネが語っている愛が、相互方向的な愛であることを示しています。
神から自分にやって来る愛でもあり、自分から神に向かう愛でもあり、
自分から兄弟に向かう愛でもある愛なのです。
この相互関係的な愛は、
くどいようですが、まず神からの愛を実感することによってはじまります。
ですので自責の念を持っている人、
過去の失敗を引きずっている人は、それをやめましょう。
そういう人は、恐らく他人のことも責めやすいはずです。
過去を引きずる人の多くは、神の愛の実感も弱い傾向があります。
ですから、まず神の愛を深く実感しましょう!
実感できたなら、まず神を愛し、次に兄弟姉妹を愛しましょう。
次の賛美は、今日の箇所にピッタリ!
ゆっくり目のバージョンを選びましたので、一緒に歌いましょう(^o^)/
↓いつも応援ありがとうございます↓