【短編】まだ見たことのない神 1ヨハネ4:20
些細な違いですが、一応ご説明します。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
新改訳や新共同訳は、「目に見える兄弟」「目に見えない神」と訳してますが、
これは厳密に言うと誤訳です。
「目に見える兄弟」「目に見えない神」の「見える」に当たる部分は、
原典では「見る」という動詞ホラオーの完了形で書かれています。
ですから日本語にすると、
「すでに見たことがある兄弟」「今までに見たことのない神」というのが正しい訳です。
なんと文語訳は、そのように訳しています。
ブルーの部分が、ホラオーの完了形です。
文語訳
人もし『われ神を愛す』と言ひて、その兄弟を憎まば、これ僞者なり。既に見るところの兄弟を愛せぬ者は、未だ見ぬ神を愛すること能はず。
同様に、岩波翻訳委員会訳もそのように訳しています。
岩波翻訳委員会訳
誰にもせよ「私は神を愛している」と言いながら、自分の兄弟を憎んでいるならば、その人は偽り者である。なぜなら、肉眼で見たことのある自分の兄弟を愛さない者に、まだ見たことのない神を愛することはできないからである。
また、大半の英語の聖書も、完了形で訳しています。一例としてNIVを挙げます。
If anyone says, "I love God," yet hates his brother, he is a liar.
For anyone who does not love his brother, whom he has seen,
cannot love God, whom he has not seen.(NIV)
●まとめ
前回の記事で、私たちに与えられている愛、ヨハネがこの手紙で述べている愛は、
相互方向に向いている愛だとご説明しました。
図にするとこうなります。
神← 愛 →人
神に向かっている愛が自分の内にあると言いながらも、
その愛が人の方向にも向いていない場合、
その愛は本物ではない、ヨハネが教えている愛ではない、
というのがヨハネの主張です。
ですから、まだ見たことがない神を愛している人は、
見たことがある兄弟姉妹のことも愛するはずだ、というのは、
ヨハネにとっては当然の主張なのです。
それが21節で、ヨハネが述べていることです。
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
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