主は私の相続地 詩篇16篇 前半
詩篇16:1~5 ダビデのミクタム
1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
2 私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。
私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。
あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
2 私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。
私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。
あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
「ミクタム」の意味は、
●5節前半
主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。
「持ち分、取り分」という意味です。
ダビデは、主なる神が私たちの持ち分だと教えています。
神が私たちの持ち分であるというのは、すごい概念だと思います。
逆であればわかります。
私たちが主の所有物というのは当たり前のことです。いつも聞いています。
しかしこの大胆な概念は、以下の箇所にも書かれています。
主はまたアロンに仰せられた。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地(へーレック)であり、あなたの相続地である。
主は、私たちの取り分であり、相続地なのです。
●5節後半
あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
後半は、将来私たちが受けるものを、主が保ってくださると言っています。
私たちの将来は、主の御手の中にあるということです。
詩篇の特徴である並行法のゆえに、
著者が述べているのは、
神が私たちのために何をしくれるかではなく、
むしろ神がどのようなお方なのかということだそうです。
それゆえ、新共同訳は、次のような訳文になっています。
主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。
主は、私たちの今後の人生を支え、保ってくださる方なのです。
●感想
主が私の相続地という概念は、
日本人のクリスチャンにとっては畏れ多く感じるものではないでしょうか?
でもアメリカの賛美の中では、しばしば「You are mine」(あなたは私のもの)と、
歌っているのを耳にします。
そしてそれは、聖書的なのです。
主は私たちの神であり、私たちの取り分だからです。
私は最近、この歌が気に入っています。
特に「You are mine」というくだりがいい感じだと思います。
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