ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

兄弟姉妹の正しい愛し方とは? 1ヨハネ5:1~2


 
 愛の伝道者ヨハネによる、愛の講義その2です。
 
ヨハネ5:1
エスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。
 
 
 1節は、救いに至る信仰について述べています。
 
 ポイントはキリスト観にあります。

 イエスがメシアであるという信仰を持っている人は、誰でも救われている、

 とヨハネは教えています。

 
「生まれた」に相当する部分は完了形で書かれているので、
 
 正しいキリスト観を持っている人は、すでに救われている、

 とヨハネは言っています。

 万が一、救いの確信がない方がいらっしゃるなら、安心して確信してください。
 
 
 そして救われている人はみな、仲間のクリスチャンをも愛する、
 
 というのが後半部分の主張です。

 イエスさまを救い主として信じ、兄弟姉妹を愛しておられる方は、

 すでに救われています。

 良かったですね。  
  

●2節
 
私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります
 
 
 2節は、新改訳と他の聖書では、訳し方が分かれています。
 
 新改訳は、原文の冒頭にある「このことにおいて/エン タウトー」の解釈が、
 
 他の聖書と違います。
 
 
新共同訳
このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します
 
岩波翻訳委員会訳
このことから知るように、私たちが神を愛し、その誡めを行なうたびに、私たちは神の子供たちを愛しているのである
 
 
 新改訳の解釈:タウトーは、2節の「神を愛し命令を守ること」を指している
 
 他の聖書の解釈:タウトーは1節の内容を指している
 
 
 どちらが正しいのでしょうか?
 
 まず、原文を解釈なしで直訳してみます。
 
 
このことにおいて、私たちは、私たちが神の子どもたちを愛していることを知るのです。
 
私たちが神を愛し、神の命令(複数形)守るとき
 
 
答え
 
 上記の「愛し」と「守る」の部分は、接続法(英語でいう仮定法)で書かれており、
 
「~するなら」という条件を暗示しています。
 
 新改訳が「命令を守るなら」と訳しているのはそのためです。
 
 なので、新改訳の解釈が正しいことになります。
 
 
 ただし、「~するときを意味するホタンという言葉があるので、

 それを訳出した点では、他の聖書にも利点があります。
 
 
 2節が教えていることは、「神の子どもたちを愛すること」は、
 
 まず神を愛し、その結果として神のいろいろな命令を守ることである、
 
 ということです。
 
 
他のクリスチャンを愛すること = 神を愛する + 神のいろいろな命令を守る 
 
 
 言い換えると、ヒューマニズム的に愛しても、
 
 ヨハネが教えるところの、兄弟を愛することにはなりません。
 
 まず神を愛し、その結果として神の命令を守ることが、

 兄弟姉妹を愛することですから、

 ヨハネが教える愛し方は、救われている人にしかできません。

 それは、次のイエスさまの言葉からも明らかです。


あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したようにそのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。


  
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