ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

助言を与え道を示してくださる主 詩篇16篇 後半


詩篇16611
測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
私は助言を下さった主をほめたたえる。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
10 まことに、あなたは、私のたましいを
よみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。


 
 この詩篇は、ダビデがサウルに追われていたときに書かれたものだそうです。
 
 参照すべき聖書箇所として、1サムエル記2619が挙げられていました。
 

1サムエル記26:19 
王さま。どうか今、このしもべの言うことを聞いてください。もし私にはむかうようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。彼らはきょう、私を追い払って、主のゆずりの地にあずからせず、行ってほかの神々に仕えよ、と言っているからです。
 
 
 6節にも1サムエル記にも「ゆずりの地」とあります。
 
 調べてみたところ、両方とも同じヘブル語ナハラーでした。
 
 ナハラーは「相続地」を意味します。
 
 
「はかり縄」とは、土地を図って区切るために使われる縄で、
 
 区切られた土地は、くじによって割り当てられたそうです。
 
 6節の土地配分の描写は比ゆ的なもので、
 
 実際はヤーウェこそ、もっとも優れた「ゆずりの地」(霊的取り分)であることを、
 
 暗示しているとのことです。

 
 サウルに追われ、命すら危うかったダビデにとって、
 
 主ご自身がゆずりの地だったのです。
 
 試練のときは肉的には辛いものですが、霊的には主が近くにいることがわかります。
 
 
●7節
 
私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私のが私に教える。
 
「助言」とは、詩篇38篇によると、主の道に進ませる「悟り」です。
 
 
詩篇32:8 
わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう


 主は私たちに助言を与え、行くべき道に進ませてくださいます。
 

●8節
 
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私のにおられるので、私はゆるぐことがない。

「右」の部分は、原語では右手」(ヤミン)という意味です。
 
 ヘブル語辞典の説明では、ヤミンにはイスラエルを救う手段という意味があります。
 
 モーセは、紅海が割れてエジプト軍が滅んだとき、次のように詠いました


主よ。あなたの右の手(ヤミン)は力に輝く。主よ。あなたの右の手(ヤミン)は敵を打ち砕く。


 主は、救いを必要としとしておられる方の右におられます。

 主ご自身がその方を救う手段です

 
●10節
 
まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

 
 この詩篇はメシア詩篇です。

 ペテロはこの詩篇を引用してイエスを語りました。

 
使徒の働き2:25~28 
ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
 
 
 ペテロによれば、ダビデ詩篇16篇の中で、
 
 メシアについて預言しているということになります。
 
 そう解釈した場合、
 
 詩篇のほうの「私」というのは、ダビデ自身のことではなくメシアのことであり、
 
 詩篇16811までは、メシアが語った言葉だということになります。
 

感想と祈り
 
 私は試練の中にあったダビデのことを思わされました。
 
 彼は困り果てて、行くべき道を求めていたのではないでしょうか。
 
 読者の皆さんの中にも、試練に置かれて、
 
 行くべき道を求めている方がいるかもしれません。
 
 そのような方のために祈りが導かれました。
 
 主はその方の前に、必ず行くべき道を示してくださいます。
 
 11はそれを約束しています。
 
 
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
 

「いのちの道」は英語の聖書では「the path of life」と書かれており、
 
「人生の進路」と受け取ることもできます。
 
 主は「人生の進路」を知らせてくださいます。
 
 そしてそこには、主の喜びと楽しみが備えられているのです。
 
 
          
   ドン・モーエンは、こう歌っています。

  「主は人には見えない方法で働き、私のために道を拓いてくださる」

    
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