助言を与え道を示してくださる主 詩篇16篇 後半
詩篇16:6~11
6 測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
7 私は助言を下さった主をほめたたえる。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
7 私は助言を下さった主をほめたたえる。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
10 まことに、あなたは、私のたましいを
よみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
よみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
参照すべき聖書箇所として、1サムエル記26:19が挙げられていました。
1サムエル記26:19
王さま。どうか今、このしもべの言うことを聞いてください。もし私にはむかうようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。彼らはきょう、私を追い払って、主のゆずりの地にあずからせず、行ってほかの神々に仕えよ、と言っているからです。
6節にも1サムエル記にも「ゆずりの地」とあります。
ナハラーは「相続地」を意味します。
「はかり縄」とは、土地を図って区切るために使われる縄で、
区切られた土地は、くじによって割り当てられたそうです。
6節の土地配分の描写は比ゆ的なもので、
実際はヤーウェこそ、もっとも優れた「ゆずりの地」(霊的取り分)であることを、
暗示しているとのことです。
サウルに追われ、命すら危うかったダビデにとって、
主ご自身がゆずりの地だったのです。
試練のときは肉的には辛いものですが、霊的には主が近くにいることがわかります。
●7節
私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
「助言」とは、詩篇38篇によると、主の道に進ませる「悟り」です。
わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。
主は私たちに助言を与え、行くべき道に進ませてくださいます。
●8節
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
モーセは、紅海が割れてエジプト軍が滅んだとき、次のように詠いました
主よ。あなたの右の手(ヤミン)は力に輝く。主よ。あなたの右の手(ヤミン)は敵を打ち砕く。
主は、救いを必要としとしておられる方の右におられます。
主ご自身がその方を救う手段です
●10節
まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
メシアについて預言しているということになります。
そう解釈した場合、
●感想と祈り
私は試練の中にあったダビデのことを思わされました。
彼は困り果てて、行くべき道を求めていたのではないでしょうか。
読者の皆さんの中にも、試練に置かれて、
行くべき道を求めている方がいるかもしれません。
そのような方のために祈りが導かれました。
主はその方の前に、必ず行くべき道を示してくださいます。
11節はそれを約束しています。
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
「いのちの道」は英語の聖書では「the path of life」と書かれており、
「人生の進路」と受け取ることもできます。
主は「人生の進路」を知らせてくださいます。
そしてそこには、主の喜びと楽しみが備えられているのです。
ドン・モーエンは、こう歌っています。
「主は人には見えない方法で働き、私のために道を拓いてくださる」
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