主の足跡を辿った男 詩篇17篇 前半
主よ。聞いてください、正しい訴えを。耳に留めてください、私の叫びを。耳に入れてください、欺きのくちびるからでない私の祈りを。
私のためのさばきが御前から出て、公正に御目が注がれますように。
あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。あなたは私をためされましたが、何も見つけ出されません。私は、口のあやまちをしまいと心がけました。
人としての行ないについては、あなたのくちびるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。
私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。
この詩篇の背景について次のように説明しています。
ダビデとその一行は、敵に取り囲まれている(17:11)。敵の一人は、非常に強い悪意をもって計画を立ている(17:12)。ダビデの生涯でそのような場面に遭遇したことは、1サムエル記23:25に描かれている。
サウルとその部下がダビデを捜しに出て来たとき、このことがダビデに知らされたので、彼はマオンの荒野の中で、岩のところに下り、そこにとどまった。サウルはこれを聞き、ダビデを追ってマオンの荒野に来た。1サムエル記23:25
●3節
「夜、私を問いただされました」とありますが、
口語訳はこう訳しています。
あなたがわたしの心をためし、夜、わたしに臨み、わたしを試みられても、わたしのうちに/なんの悪い思いをも見いだされないでしょう。
この箇所のパカッドの用法は、「目的を持って訪れる」というものです。
ダビデの場合、主は彼の心を調べるために訪れました。
私たちは、主の訪問を受けることはないかもしれません。
むしろ主は、こんにち私たちに内住してくださっています(ローマ8:9~10)。
もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら・・・霊が、義のゆえに生きています。
ローマ8:10
たまに訪問してもらうのも悪くありませんが、
常駐してもらっているほうが有難いと思いませんか。
キリストが内住してくださっているお陰で、私たちの霊は生きているのです!
私たちの口で語ったことが、裁きの対象になるのはこんにちも同じです。
マタイ12:36~37
人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。
●4節と5節
4 人としての行ないについては、あなたのくちびるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。
5 私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。
前者は人などが通る道路のことで、後者は馬車などが通った「痕跡」を指しています。
ダビデは、主が歩まれた足跡を辿るようにして生きていたのです。
英語でダビデのことを形容するとき、
「a man after His own heart」(主の心を追い掛けていた男)と言います。
私たちも、主の足跡を辿って歩みたいですね。
いつも応援してくださり、ありがとうございます(^o^)/