ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

主の足跡を辿った男 詩篇17篇 前半


 
詩篇17:1~5 
主よ。聞いてください、正しい訴えを。耳に留めてください、私の叫びを。耳に入れてください、欺きのくちびるからでない私の祈りを。
私のためのさばきが御前から出て、公正に御目が注がれますように。
あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。あなたは私をためされましたが、何も見つけ出されません。私は、口のあやまちをしまいと心がけました。
人としての行ないについては、あなたのくちびるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。
私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした
 
 
 
 この詩篇の背景について次のように説明しています。
 
ダビデとその一行は、敵に取り囲まれている(17:11)。敵の一人は、非常に強い悪意をもって計画を立ている(17:12)。ダビデの生涯でそのような場面に遭遇したことは、1サムエル記23:25に描かれている。

サウルとその部下がダビデを捜しに出て来たとき、このことがダビデに知らされたので、彼はマオンの荒野の中で、岩のところに下り、そこにとどまった。サウルはこれを聞き、ダビデを追ってマオンの荒野に来た。1サムエル記23:25

   
3節
 
夜、私を問いただされました」とありますが、
 
「問いただす」の部分には「訪れる」という意味の言葉パカッドが使われています。
 
 口語訳はこう訳しています。
 
 
あなたがわたしの心をためし、夜、わたしに臨み、わたしを試みられても、わたしのうちに/なんの悪い思いをも見いだされないでしょう。
 
 
 この箇所のパカッドの用法は、「目的を持って訪れる」というものです。
 
 ダビデの場合、主は彼の心を調べるために訪れました。
 
 
 私たちは、主の訪問を受けることはないかもしれません。
 
 むしろ主は、こんにち私たちに内住してくださっています(ローマ89~10
 

もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら・・・霊が、義のゆえに生きています
                                 ローマ8:10 
 
 たまに訪問してもらうのも悪くありませんが、
 
 常駐してもらっているほうが有難いと思いませんか。
 
 キリストが内住してくださっているお陰で、私たちの霊は生きているのです!
 

口のあやまち」の部分の直訳は、「口が(律法の)限度を超えてしまう」です。
 
 私たちの口で語ったことが、裁きの対象になるのはこんにちも同じです。


マタイ12:36~37
人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです
 
 
●4節と5節
 
4 人としての行ないについては、あなたのくちびるのことばによりました。私は無法な者のを避けました。
5 私の歩みは、あなたのを堅く守り、私の足はよろけませんでした
 
 
 4節のと5節のは別の単語です。
 
 前者は人などが通る道路のことで、後者は馬車などが通った「痕跡」を指しています。
 
 ダビデは、主が歩まれた足跡を辿るようにして生きていたのです。
 
 英語でダビデのことを形容するとき、

a man after His own heart」(主の心を追い掛けていた男)と言います。
 
 私たちも、主の足跡を辿って歩みたいですね。

 

 
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