神の介入を求める祈り 詩篇17篇 後半
詩篇17:6
神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。
6節の原文の冒頭には、「私/アニー」が余分についています。
「私」を強調することにより、
「私は確かにあなたを呼び求めた」というニュアンスになるそうです。
「神よ」の部分ですが、通常は「エロヒーム」(神の複数形)が使われます。
しかしここでは「エル」という単数形が使われています。
「イスラエルの唯一まことの神」というニュアンスを示すと説明されています。
●7節
あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。
「あなたの奇しい恵みをお示しください」の部分は、
「見事にする、素晴らしくする」という動詞の命令形が使われているため、
直訳は「あなたの恵み(ヘセッド)を見事なものにしてください」だそうです。
「イスラエルの神よ。あなたの恵みを見事なものにしてください!」
なんだか、如何にも聞いてもらえそうな響きがしませんか?
これは、目に見える形での神の介入を求める表現だそうです。
参照箇所として、詩篇31:21が挙げられています。
詩篇31:21
ほむべきかな。主。主は包囲された町の中で私に奇しい恵みを施されました。
●感想
人生の背水の陣に立たされたとき、
ダビデのように神の介入を大胆に求めたいですね。
主よ。立ち上がってください。彼に立ち向かい、彼を打ちのめしてください。あなたの剣で、悪者から私のたましいを助け出してください。詩篇17:13
主は必ずや介入してくださるはずです。
歌詞の中には、次の箇所が暗示されています。
だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。マルコ11:23
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