敵からの解放 詩篇18篇 後半
主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕え、私を大水から引き上げられた。
主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。
彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。
主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。
主は私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさにしたがって私に償いをされた。
私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。
新共同訳144:7
高い天から御手を遣わしてわたしを解き放ち、大水から、異邦人の手から助け出してください。
確かに17節には「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された」とあり、
44節や45節には「外国人」とあるので、
ダビデが実際に直面していたのは、異邦人の敵であることがわかります。
私たちの場合は、私たちを攻撃してくる悪霊や罪との戦いと言えるでしょう。
この箇所意外では出エジプト記2:10しかありません(カル形の場合)。
主はダビデを敵の手から引き出したのです。
主は私たちにも、同じことをしてくださいます。
●解放のポイント
19節を見ると「主が私を喜びとされたから」とあり、
24節では、「主は、私の義にしたがって・・・私に償いをされた」とあります。
ダビデが敵の手から解放された理由が、主に喜ばれていたためであり、
義なる歩みをしていたためであることがわかります。
困難からの救出が必要なとき、
日頃から主に忠実に歩んでいることが土台になるということでしょう。
この原則は、今日でも変わりません。
しかしどんなに忠実なクリスチャンでも、100パーセント主に従うことはできません。
キリストの十字架をとおして与えられる神の義にまさる義はありません。
ですから私たちは、イエスの十字架と信仰による義に寄り頼むべきです。
ローマ3:21~22
言い換えると、イエス・キリストを信じている人は、
誰でもダビデと同じように、いえ、それ以上に、
解放の恵みに預かることができるのです。
また18:50には、
くどいようですが、
「恵み」と訳されているのはヘセッド(契約の愛/unfailing love)です。
十字架と神のヘセッドに信頼し、困難や問題から解放されていきましょう!
以下の賛美の歌詞にも、「恐れが襲うとき、あなたは見捨てはしない」とあります。
↓最後までお付き合いくださり、ありがとうございました↓