ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

敵からの解放 詩篇18篇 後半



詩篇18:1621 
主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕え、私を大水から引き上げられた。
主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。
彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。
主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。
主は私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさにしたがって私に償いをされた。
私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。
 
 
 NETバイブルの注釈によると、16節の「大水」という表現は、

 詩篇1147にあるような異邦人の敵を比喩したものだそうです。
 
 
新共同訳144:7 
高い天から御手を遣わしてわたしを解き放ち大水から、異邦人の手から助け出してください
 
 
 確かに17節には「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された」とあり、
 
 44節や45節には「外国人」とあるので、
 
 ダビデが実際に直面していたのは、異邦人の敵であることがわかります。
 
 私たちの場合は、私たちを攻撃してくる悪霊や罪との戦いと言えるでしょう。
 
 
 大水から「引き上げる」と訳されているマシャーという単語は、
 
 この箇所意外では出エジプト記210しかありません(カル形の場合)。
 
 
彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったからである。
 
 
 王女がモーセナイル川の水から引き出したように、

 主はダビデを敵の手から引き出したのです。
 
 主は私たちにも、同じことをしてくださいます。
 
 
解放のポイント
 
 19節を見ると「主が私を喜びとされたから」とあり、
 
 24節では、「主は、私の義にしたがって・・・私に償いをされた」とあります
 
 ダビデが敵の手から解放された理由が、主に喜ばれていたためであり、
 
 義なる歩みをしていたためであることがわかります。
 
 困難からの救出が必要なとき、

 日頃から主に忠実に歩んでいることが土台になるということでしょう。

 この原則は、今日でも変わりません。
 

 しかしどんなに忠実なクリスチャンでも、100パーセント主に従うことはできません。
 
 キリストの十字架をとおして与えられる神の義にまさる義はありません。
 
 ですから私たちは、イエスの十字架と信仰による義に寄り頼むべきです。
 
 
ローマ3:21~22
しかし、今は、律法とは別に・・・神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
 
 
 言い換えると、イエス・キリストを信じている人は、

 誰でもダビデと同じように、いえ、それ以上に、

 解放の恵みに預かることができるのです。

 詩篇1830に、「主はすべて彼に身を避ける者の盾」とあるとおりです。
 

 また18:50には、

主は・・・ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます」とあります
 
 くどいようですが、

「恵み」と訳されているのはヘセッド(契約の愛/unfailing love)です。
 
 ダビデのすえであるイエスさまを通して、ヘセッドが私たちに注がれています。
 
 十字架と神のヘセッドに信頼し、困難や問題から解放されていきましょう!

 
 以下の賛美の歌詞にも、「恐れが襲うとき、あなたは見捨てはしない」とあります。

 
 
   ちなみに、歌っているローレン堀井さんは、アーサー・ホランドの娘さんです。
 
 
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