ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「七つの霊」の正体 黙示録1:4


 
黙示録1:4~6
ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、
また、その御座の前におられる七つの御霊から
また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、
また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。
 
 
 実のところ、この箇所を「七つの御霊」と訳しているのは新改訳と塚本訳だけで、
 
 他の日本語聖書は、どれも「七つの霊」と訳しています。
 
 一例として新共同訳を挙げます。
 
 
今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から
 
 
 どちらの訳が原文に忠実かと言われれば、「七つの霊」のほうです。
 
 原文ではプニューマ(霊)の複数形であるプニューマタと書かれているだけで、

霊」とは書かれていないからです。
 

 
2種類の解釈
 
τῶν ἑπτὰ πνευμάτων   ἐνώπιον τοῦ θρόνου  αὐτοῦ
    7つの霊たち    関係代名詞  ~の前     座      彼の
 
 
「七つの霊」というのは、7つの教会の大天使だとする解釈があります。
 
 こう解釈する理由の一つは、
 
「霊」という言葉が複数形で書かれているため、
 
 原文で読むと「七つの霊たち」と読めるからでしょう。

 
 もう一つの理由は、
 
「霊」の後ろに関係代名詞がついており、
 
神の座の前にいるところの七つの霊たち」と修飾されているためだと思います。
 
 御霊は神であるのに、なぜ御座の前にいるのか?
 
 という疑問が湧くのです。
 
 
説明
 
 しかしヨハネの黙示録の中で、
 
 天使のことを「霊」という言葉で表現している箇所はまったくありません。
 
 さらに「七つの霊」というフレーズが出て来る他の箇所を見ると、
 
 どれも「神の七つ霊」と書かれています。
 
 
サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次のように言われる新共同訳・黙示録3:1
 
玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である新共同訳・黙示録4:5
 
小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である新共同訳・黙示録5:6
 
 
 また「常にいまし、昔いまし、後に来られる方」という表現は、
 
 出エジプト記3:14の「わたしは、『わたしはある。』という者である。」
 
 に相当するヤーウェの名前であるとする解釈が、
 
 複数の聖書注解者によって提唱されています。
 
 その場合、「常にいまし、昔いまし、後に来られる方」を父なる神と考え、
 
 5節のイエス・キリストと合わせることで、
 
 父なる神、御霊なる神、子なる神の三位格が揃うことになり、
 
 挨拶の表現として妥当であると考えられます。
 
 
 これらの理由から、「七つの霊」というのは大天使ではなく、
 
「御霊」が正解であると考えられています。
 
 
「七つ」の意味
 
 そうすると、「七つ」の意味は何なのか?という疑問が湧いてきます。
 
 一つの解釈は、完全さを表すというものです。

 
 面白いのはエリコットという注解者の考えです。
 
 7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢の裁きは、
 
 異なる時期に、様々な形でもたらされるものの、
 
 多様性のある裁きが御霊の采配によって完全な形で遂行される、
 
 という意味で「七つの霊」と表現されているのではないかと説明しています。
 
 
 もう一つの解釈は、

 御霊の働きや性質が七つあるという意味ではないかというものです。
 
 ただし、働きや性質の具体的な内容については不明とされています。
 
 
まとめ
 
 新改訳聖書の「七つの御霊」という訳は、わかり易い翻訳だと思います。
 
 ただし意訳されているため、他の解釈の可能性や、
 
 原文で執筆者が表現しようとしているニュアンスを損なう、
 
 という側面はあるかもしれません。
 
 以上、「七つの霊」に関する考察でした。

 
↓最後までお付き合いくださり、ありがとうございました↓