神の自己啓示 詩篇19篇
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。
その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。
通常はエルの複数形であるエロヒームが使われますが、
1節~6節を思い巡らすことで想起するのは、ローマ書の1章です。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。ローマ1:20
神学者たちは、被造物による神の自己啓示を「一般啓示」と呼び、
聖書による自己啓示を「特別啓示」と呼んでいます。
一般啓示と特別啓示の両方について述べていることになります。
☆ ☆
私は子供の頃、カール・セイガンという天文学者が大好きでした。
彼はまったくの無神論者でしたが、
宇宙の出来栄えの良さについては次のように言っています。
「But if by God one means the set of physical laws that govern the universe, then clearly there is such a God.」
「しかし神という言葉によって、宇宙を統治する物理法則の集合体を意味するのなら、
そのような神が存在することは確かである。」
「その呼び声は全地に響き渡る」とありますが、
残念ながらカール・セイガンは、その声を正しく聞くことができなかったようです。
●7~11節
主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。
「モーセ五書」です。
モーセ五書の中に自己啓示していた神に出会っていた、
ということではないかと、私なりに解釈しています。
神の掟や戒めは、「わきまえのない者を賢くする」と書かれています。
「わきまえのない者」というのは、
箴言1:4にあるような、善でも悪でも受け入れてしまう人のことで、
教えに心を閉ざしてはいないものの、
誘惑に立ち向かう信念や原則を持っていない人のことだそうです。
わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。
箴言1:4
●12~14節
だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。
「傲慢の罪」と「大きな罪」の関連には、重要な意味があると思います。
昔、ジミー・スワガートという素晴らしいTV伝道者がいました。
本当に聖霊が働く器で、
私は夢中になって、友人と二人で彼のTV番組を観ていましたが、
有名になった彼は、繰り返し「大きな罪」を犯してしまいました。
こんにちも同じような有名な器がいます。
「黙想」という意味だそうです。
聖書の通読は大切ですが、単にノルマをこなすだけにならないようにしたいですね。
ブログ記事を書いていると、
必然的に御言葉を思い巡らすことになるので一挙両得です。
ヒガヨンは、以下の箇所のそれと同じです。
詩篇9:16
主はご自身を知らせ、さばきを行なわれた。悪者はおのれの手で作ったわなにかかった。ヒガヨン セラ
●感想
感慨深く思わされました。
私たちはほんの小さな存在で、地上には一時的にしかいませんし、
イスラエルではなくて日本にいるわけですが、
そんな私たちに「イスラエルの唯一まことの神」が自己啓示しくださるのは、
本当にありがたいことだと思いました。
そうしてもらはないことには、エルを知ることはできないと思います。
↓最後までお付き合いくださり、ありがとうございました↓