ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

神の理由 黙示録1:9


 
黙示録1:9 
ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた
 
 
エスの中で共有できるもの
 
 9節に、「ともに・・・にあずかっている者」とあります。
 
 そう訳されている語はスンコイノノスといいますが、
 
 この語は、「~と共に/スン」と「共有する/コイノネオー」とからできた言葉で、
 
「~と共に(同じものを)共有する」という意味です。

「苦難、御国、忍耐」を、ヨハネは読者と共に共有しているのです。

 
 ギリシャ語辞典を見ると、 
 
「忍耐」と訳されているフポモネーの聖書的な含みが説明されており、
 
「神が割り当てる困難の中に、神の力によって留まりつづける能力」とされています。
 
 主は、私たちが困難に耐えられるように、忍耐力をも与えてくださるということです。
 
 その忍耐力こそが、フポモネーです。
 
 
「苦難、御国、忍耐力」の3つは、並列と呼ばれる表記方法で書かれています。
 
 また、「エン イエスー/エスの中に」というフレーズが、

 3つの語すべてに掛かっています。
 
 このことからわかるのは、
 
 イエスを信じる者は苦難を受けることになりますが、
 
 同時に、エスの中に御国と忍耐力を見出すことができるということです。
 

 私たちは地上で苦しみますが、それは神の国に入るために必要なことであり、

 苦しみに耐える忍耐力もイエスの中に備えられているというメッセージが、

 感じられます。 
 

流刑の真の理由
 
神のことばとイエスのあかしとのゆえに」パトモスにいた、とあります。
 
「ゆえに」と訳されている語は、後ろに対格が来る場合は理由を示します。
 
 この箇所では、「ことば/ロゴス」と「あかし/マルトゥリア」が対格です。
 
 
 言い換えると、
 
 ヨハネがパトモスにいた理由は、
 
 神の言葉とイエスの証言を書き記すためだった、ということです。

 もちろんローマ政権による流刑が、表面的な引き金になりました。

 しかしそれは、第一義的な理由ではなく、

 神の理由は、神の言葉とイエスの証を書き留めさせるためだったのです。
 
 
●まとめ

 私たちの人生にも色々な困難が降りかかります。
 
 そこには、表面的な原因となった理由があるでしょう。
 
 しかし神の目から見たら、摂理として備えていた別の理由があるかもしれません。
 
 困難の中に閉じ込めることを通して、神が私たちにさせようとしていること、
 
 与えたり教えたりしようとしている何かがあるかもしれません。
 
 その困難が、神の目的のために最善の状況や環境を生み出すのかもしれません。
 
 ヨセフがエジプトに売られたのは、まさにそのような理由でした。
 
 困難に直面するとき、そこに秘められた神の理由を見出すなら、

 そこには、実に見事な神の知恵が見つかるのではないでしょうか。
 
 
↓読者の皆さんの上に祝福がありますように↓